出口の見えない不安

気がついたら4月になっていた。

4月1日というのは、新年度の初日。でも今年は、いつもの4月とは違う。

桜が咲き誇っているのに、全く目に入らないかのような日々を送ってしまっている。

自分の身の心配よりも

それもこれもCOVID-19による感染拡大の恐怖が覆っているからである。

自分自身の感染も不安の一つだが、それよりも自分と接触することで感染させるリスクがあるかもしれないという、目に見えない恐怖があるからだ。

おそらく、相当に高い確率でウイルス感染はしていないとは思う。しかし、無症候性キャリアになっていないとは、誰も言い切れない。そもそも検査する機会がないからだ。

だからと言って、積極的に検査を受ける気にはならない。

感染している、していたことを知るのが怖いということではない。

院内感染などが報道されている状況下で、自分の身をわざわざ危険な環境に置く必要はないと、「君子危うきには近寄らず」ではないけれど、リスクを高める必要はない。

より安全な環境で、PCR法のような信頼性の低い検査方法ではなく、抗体の有無を検証する方法で検査できればいい。

人様に迷惑をかけてはならない

自分の行動を縛る価値観の一つが、他人に迷惑をかけることを潔しとしない価値観だ。

自分さえ良ければいいとは、思えない。

多分大丈夫だろうと思うけど、もし自分が理由で感染させてしまったらという恐怖と責任感に、耐え切ることができるかは、非常に心許ない。

だから、行動に躊躇が発生する。

自粛してくださいと言われなくても、あなたが付き合うことで感染を広げてもいいのですか?と問われると、行動停止に陥ってしまう。

仕事とプライベートは違う

仕事の関係であれば割り切れる。

そういう役割を持って行動しているから。

でも、プライベートは違う。「不要不急」なのか?と問われると、そこまで強くは言い切れない。言い切れないが、「健全な人生」には必要なのだ。

でも、自分の都合だけを優先することには、躊躇する。

だから、現在の状況というのはとても生きづらい。

狼少年が叫ぶ

「狼が来るぞー!」と叫び、村人の反応を楽しんでいた悪ふざけが、現実となって悲惨な結末を迎える童話がある。現在の状況はそれに近い。

いつ終わるのかわからない。

3月末に向けて、アメリカの株式市場は一旦は回復を見せたが、世界経済に与えるダメージは計測不能だ。バブルの崩壊とは違う。世界の日常生活が崩壊したと言ってもいい。

4月になれば、、、

そんな掛け声は虚しくなった。

イースターの頃まで、、、と語っていた欧米の政治家は、今や4月末までは、、、と言葉をすり替えている。日本でも、5月の大型連休まで、という話が出始めている。

こうしてずるずると先延ばしされていく。

出口の見えない不安で始まる4月1日。それでも、毎日を精一杯やりくりして、明日を肯定する。それが生きていくということだから。

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