自粛要請は卑怯

COVID-19に怯える人は多いが、しかしなんだろう、この「自粛要請」というのは。

爆発的な感染を積極的に抑えるならば、規制力をもって不特定多数の人間の濃厚接触を避けるようにすべきだろう。

しかし実態は

強制力のない「自粛」である。

分別のある大人ならわかってくれますよね、と言わんがばかりの態度だ。

自粛だと、競合などを意識して、彼方がやっているのだから自分たちも、となってしまいやすいし、かといって積極的な行動に出ると「空気が読めない」と袋叩きにあうリスクもある。

結局曖昧なままで、あらゆることが徹底されないリスクがある。

白黒つけることは、それほど好きなことではないけれども、優柔不断な態度で判断を曖昧にされては困る人も多いのだ。

こういう行為が、「風評被害」的なものを産み出すのではないだろうか。

便利な自粛

結局は、誰も責任を負いたくないから、たらい回し的な対応に終始することになる。

自粛は便利だ。

後から、「なぜ自粛しなかったのですか?」と非難することが容易だからだ。

規制による営業停止をすることによる、損失補償などを気にすることなく、あくまで自主的な判断で、と逃げることができる。

権力による強制力を温存することで、責任や非難から逃れることができるし、常にもう一枚カードを保つことができるので、権力側にとって安心できる状態を作ることができる。

卑怯である

結局、前面に立って、共感に訴え、このウイルスとの戦いを戦い抜きましょうと、鼓舞することはしない。責任も取らない。

それで、リーダーの役割を果たしていると言えるのだろうか。

リダーですら逃げているのだ。これを卑怯と言わずしてなんというべきだろう。

これも日本の実力

中国のような強制力を発揮して、感染拡大を抑え込む方法は好きではない。

空気感を熟成し、「自粛」や「空気」に頼る日本のやり方も好きではない。が、日本人であり、日本で生活する以上は従わなければならないことも十分にわかっている。

だが、しかし、だ。

こういうある意味で「非常時」には、その国の実力があからさまになる。フクシマの時もそうだった。

自分ではコントロールできない極地ともいえ、非常に寝覚の悪い毎日を過ごしている。

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