助けを求める勇気

誰かの助けを求めるのに勇気を必要としないと思うかもしれない。

しかし、

  • 独立精神が旺盛
  • 責任感が強い
  • 人に弱みを見せたくない
  • 意地っ張り
  • いっぱいいっぱい

だったりすると、「助け」を求めることすら忘れてしまったり、自分でなんとかしないとダメだと思い込んで、「助けを求めることは逃げること」のように罪悪感を感じてしまって、より深みにはまることは多々あるのです。

助けを求めることができなかったばかりに、当然受けられるべきサポートを受けることなく、自滅を繰り返し、取り返しのつかない状態になってしまうことがあります。

そうなる前に、「助け」を求めていたらここまで酷くならずに済んだのに、と残念な気持ちで眺めたことが何度かあります。助けることができた立場にあったらなおのこと、やるせなさに心が締めつけられ、後悔と残念な気持ちにいっぱいになります。

どこでSOSを出すのか

問題なのは、軽微なことでやたらと「助け」を求めるわけにはいかないし、どうにもならない状況になってからやっと「助け」を求められても打ち手が限られてしまいます。

適度な状態、タイミングというのが、ここでも存在します。

でも、どうやって見分け、判断したら良いのでしょうか?

  1. 日常生活がいつも通りでないと気付いた時
  2. 怒りっぽくなった、毒を吐いていると、周囲が気付いた時
  3. 最近心から笑ってないと気付いた時

を、私は一つのタイミングとして活用しています。

日常生活が普段と違う

いつもは身だしなみを整えていたのに、

  • 髪を整えない
  • ヒゲや爪などが伸ばし放題
  • 歯を磨かない
  • 化粧が雑

など、外観から変化すれば一発でわかります。

また、

  • 流しが片付いていないことが多い
  • カバンの中身がぐちゃぐちゃで、必要なものがさっと取り出せない
  • 部屋が片付かない
  • 洗濯してないために、服のストックがなくなる
  • お風呂も入らなくなる
  • 外食ばかりで、自炊をしなくなった

といった、衣食住で変化が出ることもあります。

わかりにくいところでは、

  • 少しずつ、出勤する時刻が遅くなる
  • 帰宅時間が非常にばらつく
  • 就寝時刻が遅くなる

など、記憶ではいつもと変わらずに過ごしていたつもりが、記録を見るといつもとは違う方向に変化していた、というのが変調のサインになっていたりします。

怒りと毒

変調をきたしているときは、「怒り」や「毒」を周囲に撒き散らしやすくなります。いつもはできている、「ワンクッション」が効かなくなってしまって、反射的な言動をとってしまいやすくなるのです。

期待と反するリアクションが返ってきただけで、「怒り」の感情が刺激されます。言わなくてもいい一言が、口をついて出てきたりします。

これらは無意識のうちに出てしまい、信用を失うこともあるかもしれません。

仲のよい人から、「なに怒っているの?」とか、「あ、毒吐いてる!」、「なんか今日はやけに突っかかるね」と言われたときは要注意です。

ストレスが全身を犯していて、助けを必要としている状態になっているのです。

笑いがない

怒りなど負の感情が増幅されるので、「陽」の感情、特に「笑い」がなくなっていきます。

面白い話にも興味が向かなくなります。

たわいのないことに笑えなくなります。

ましてや、よくないことを笑いに転化して、面白がることができなくなります。

もう、余裕がないのです。

ピンとゴムが張りつめた状態になってしまっているのです。

笑い検知センサーがApple Watchに取り付けられればいいのですが、まだそういったものは実装されていません。

いつ笑ったか?の記録が残れば、その増減を見ることで、自分の状態をモニターすることができるでしょう。

助けを求める勇気

助けが必要な状態だとわかったら、勇気を持って助けを乞いましょう。

できるだけ早く、対処ができるうちに。

そして、自分の傷が深くなる前に。

でも、勇気がない。

そんなときは、最悪の事態を想定しましょう。

社会的に孤立して、全てを失うリスクがあるのです。

助けを求めなかったばかりに、家族や友人を失うのです。

最終的にどうなるのか、悲惨すぎる絵しか浮かばなくなります。

想像力だけ残っていれば、助けを求める恥ずかしさや、勇気のなさよりも、そうしなかったことによる恐怖に恐れ慄くことになるでしょう。最悪の事態の想定が、自分の背中を押してくれます。躊躇している間はないのです。

もし、想像すらできなくなっていたら、相当やばいので、助からないかもしれません。手遅れかもしれません。だから、すぐに助けを求めて行動してください。

もし助けを求める勇気を出せなかったら、どうなるのか。

想像できるか、できないかが、生還への分かれ道になるのです。

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