ストレスの解消は難しい

よく、「ストレスを解消しよう!」ということを耳にする。

そうしたいと思うが、スポーツや趣味などで解消できるストレスというのは、大したことない。一時的に気が紛れるだけだ。それでも十分効果はある。

しかし、ストレスをなんとかしようと思ったら、元を断たなくては。

元となるもの(ストレッサー)があるわけで、原因を解決しない限り、ストレスは拡大再生産され続けてしまう。付け刃的な対策では、かえって悲惨なことにもなりかねない。

ストレッサーは何か?

そこで問題となるのは、そのストレスの源はどこにあるのか?ということ。

人なのか、事象なのか、自分自身のあり方(解釈、性格)の問題なのか?

原因がわかれば、その原因を解決すれば良い。さらに、自分の行動をコントロールすることで、解決策が実行できるならなお良い。でも、全くコントロールが及ばないことがストレスの源だとしたらどうだろう?

絶望的になるしかないのだろうか?

コントロールできないストレス源

諦めてそこから逃げる行動を取るのも合理的ではある。逃げても命は取られないし、心を病まなくて済むかもしれない、恥ではない(古いな)。

無闇に立ち向かい、ボロボロになって、何のメリットがあるのだろう?

勝ち目のない戦いをしてはならない。

人生は長いし、守るべきものがある。

でも、逃げ続けられるものだろうか?逃げることで、なんか嫌なものが残りはしないだろうか?

自分の人生で解決すべきチャレンジ

そんな時、私はこう自分自身に言い聞かせています。

今このタイミングで困難な状況に置かれ、ストレスに苛まされているのは、「自分が試されている」というチャレンジなのだと。

極めて仏教的な考え方ですが、生きるというのは魂のレベルアップを継続することだと思っています。
厳しいストレッサーによる困難な状況は、登山での気象条件やルートの状態と同じように、自分自身ではコントロールできないことが多い。それでも、一旦はそれを受け入れて、自分でコントロールできる対象で困難に向き合い、試行錯誤を続けて、的確な行動をとることにより、なんとか目的に到達できるかもしれない。

一度逃げることができたとしても、人生において乗り越えるべき課題だとしたら、おそらく、状況を変えて別な形で自分の人生に現れてくるだろう、と思います。
逃げ切ることのできない、人生における課題というのはあるのではないかと、自分自身、身の回りの人を見て、そう思うのです。

気が楽になることはないが、受け入れる

別に私は「挑戦」が好きな人間ではありません。
できれば「楽」をしたいと思います。

自分ではどうにもならないものに巻き込まれたら、まあ、しょうがないか、と腹を括って、受け入れることにしています。受け入れた上で、最善を尽くそうと思います。

そうやって、目の前のことを精一杯やりくりして、明日を肯定する。

もう、それしかできない。
できないから、それをやる。
誰も責めないし、自分自身に過剰な期待をもたないし、同時に自己嫌悪、自己卑下をする必要もない。

そうやって、側から「飄々としている」と評されるぐらいに、堂々としていきたいものだなと思います。
非常に難しいのですが。

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