同窓会

40も後半に差し掛かると、やたらと同窓会の案内が来るようになりました。

でも、一度も参加していません。

友達が少ないから?

そうかもしれません。が、それが理由ではありません。

高校時代にいい思い出がなかったから?

いいえ、そんなことはありません。

過去を懐かしむ気持ちがわからない

一言で言えばそういうことです。

過去のことよりも、今の方が断然興味があるし、これからの方に関心があります。

過去の繋がりも大事なことはわかりますが、これからしたいこと、今やっていることに集中したいのです。

「今こんなことしてるよ」という自慢めいた話はFacebookなどで十分ですし、自分もしたいと思いません。そんなのは自分の人生に関係ないことです。

他人と自分を比較しない

小学生の頃のことですが、「みんなが持っているから」とか、「みんながしているから」といった親への説得は全く効果がありませんでした。学校からの生活態度の評価では、「協調性がない」という指摘が何度もありました。

ですから、私個人は他人と比較することに意味はなく、良いことなんか何一つない、と思っていました。それでも、受験というものの中で、偏差値だけは逃げられませんでした。そこは器用に立ち回れました。

そんな私も大人になり、50歳という年齢が近くなった今は、より強固に「自分は自分。他人と比べても意味はない。」と断言できるようになりました。

だから、余計に同窓会などどうでも良いと思うようになったわけです。

人脈という側面も少なくなった

人と人の繋がりも、SNSに限らず、あらゆる面で可視化され、紐づけられていく現代において、たまたま生まれ育った場所、たまたま同じ学校で学んだ、という共通体験に縛られて、思考停止になりたくはありません。楽ですけど。

もちろん、私はこれらを全否定するつもりはなく、よくわからない縁というものも、肯定しています。でもそれは「これからしたいこと」と関係しているからであって、過去を懐かしむつもりはありません。

過去と未来

過去の解釈を変えることはできても、事実を変えることはできません。それよりも、変えることのできる今の方が、自分にとってはとても大切です。そして、望ましい未来を信じている限り、過去を懐かしんでいる暇はない、そう思うのです。

旧交を温め、楽しい時間を過ごす、それはとても良いことです。

でも、私はそれよりも、「これからのことをいろいろ計画して、実行して、楽しむ」方に時間を使いたい。

変化するのは良いことか?

私自身、変人の部類に属すると思います。変化が好きなのです。

どんどん変わっていきたいのです。いい言葉で言えば、「成長」していきたい、「進歩」していきたいのです。いつまでも、同じ場所に留まっていたくないのです。

そんな性格だから、同じ仕事を5年以上続けることに抵抗があります。つまらないからです。せっかくの一度きりの人生であるから、もっと楽しみたい。ワクワクしたい。

未知のもの、未だ見たことのない景色に憧れます。

登山が趣味になったのも、ここから見えるある峰の先の景色を見たいとか、この川の源流まで遡ってみたら、どんな場所にたどり着くのだろうという興味が、子供の頃からあったからだと思います。

未知や変化への欲求が高いので、面倒くさい人間だろうなと思います。

でも、変えようとしてもそれは無理で、それを受け入れて、積極的に楽しまなくては損だと思います。

平安時代の頃から言うように、「無常」であり、「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」なのですから、それらに翻弄されるよりも、その流れの中で存分に楽しむ方がいい。変化は自分にとっては前向きなことで、楽しむべき存在、そう思っていると、過去の特異点にすがるような、そんな同窓会といった存在に価値を感じなくなってしまうのです。

執着しない

極めて仏教的な考え方ですが、過去に執着したくないな、と思っています。

変えることができるのは、今だけのこと。過去はすでに自分の手を離れています。

今に集中しないで、一体何をすると言うのでしょうか?

自分がどんなにベストを尽くしても、どうにもならない大きな力に翻弄されてしまいます。執着してしまったら、臨機応変に適切な適応をとることができなくなります。

自然淘汰の中で生きていくには、適応力でやり抜くしかありません。吹雪が来たら、適切なビバークをして、吹雪が過ぎ去るまで体力を温存して、やり過ごすのです。変化に適応し、できるだけ楽しむ。それができたら、とても強いな、と思うのです。

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