上野公園

iPhoneでブログを書くという思惑ハズレ

個人のiPhoneを11 Pro MAXにしたとき、これでブログをiPhoneから書くことが多くなるかな?と、少しだけ期待したけど、意に反してというべきか、邪な目論見は瓦解すると言うべきなのか、ブログ投稿は相変わらず低調なままです。

道具を変えれば、、

というほど単純な話ではないから、とは理解してます。でも、過去の成功体験から「道具を変えることによるポジティブな効果」というものが、深く刷り込まれているので、なんとかなるだろうという根拠の薄い期待にすがってしまうのです。

一面ではそうかもしれないけど、確実性はない。でも、なんらかのプラスの面に期待したくなってしまうのですね。不確実性の中に確実性を期待したいからなのでしょうか?

こうしたい、という強い気持ちがあれば、何かを継続するのはそれほど難しいことではないかもしれません。でも、そういう気持ちの強さをいつもある一定レベル以上で維持し続けるのは、口で言うほど容易いものではありません。それができるなら、誰も苦労はしないからです。

上野公園

努力とは?

思うに、自分では努力しているなんて全然思わず、当たり前のことをしているだけのことが、他人から見たら努力しているように映ることが、本質的な努力なのではないか?と、様々な事例を見聞きするたびに思います。

私、努力してます、と宣言している以上は、努力にもならないと言うことです。強いて言うなら、「無理してます」ではないでしょうか?

自分ではまだ足りない、最低でもこのぐらいは、と青天井の中で上を見続けて、今できることをとにかくやる、そう言うのが努力なのではないかな?と、そう思うのです。

上を見てるか?

ですから、上を見て、今の精一杯できることをしよう、と言う姿勢で、ブログの更新に臨んでいるわけではないから、恐らく、長続きしないのでしょう。道具の問題ではないのです。

「XXXしなければ、、、」と言うレベルのものでもなく、家庭、仕事、趣味の登山、、、などと優先度の高いものを挙げていくと、ブログはそれほど上位にいく訳ではないです。

他の分野で上を見続けているので、ブログまでエネルギーが回らないのです。

何かうまくいかないな?

そんな時は、自分の中の優先順位が上手に機能してないだけなのかもしれないです。

そして、青天井の中で、上だけを見て、ひたすらに今日できる精一杯のことをして、明日を肯定することができているか?と、自分自身に問いかけてみることにします。

そういうひたむきさ、というか、真摯な態度が、全てを左右するのではないか、と、そう思うのです。

編集後記

という訳で、この記事の原稿は、iPhoneで書きました。フリック入力でのタイピングです。

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