低空飛行な7月と書くということ

何かと低空飛行な7月だった。

ちょっと時間が取れたら、ブログ原稿をタイプしていた。しかし、公開するアテはない。ただ、気の赴くがままにタイプしている。やがてはそれにも飽きて、途中でやめてしまう。

そしてまた別な日に、新しいタイトルで書き始める。

そういう書こうと思う日があれば、その逆にただコンテンツを消費するだけの日を送ることもあった。

長梅雨に翻弄されて

なかなか梅雨が明けないことも、低空飛行に拍車をかけた。

何をするにしても、精神力が低調で、それを回復させたくて、沢登りとか山行の計画を立てた。しかし、それをあざ笑うかのように、決まって週末の天気予報は悪かった。

雨天をついて、山へ出かけても、それで気分が晴れるわけではない。

ただ、どうしようもなく、悶々とダウン・スパイラルで降下していく7月となった。

グダグダな文章でも

こんな風に、ただグダグダとタイプした文章を読んでも、面白いものでもないし、身につまされるような切実感を感じるものでもない。

ただジトっとして、カビ臭いだけだ。

そんな何の取り柄もない文章をダラダラと紡いでいるだけなのに、まともにブログ記事として公開できそうにないのに、何一つ生産的なことをしているようには見えないのに、でも、こうしてタイプしているだけで、ふつふつとプラスの感情が心の奥底から泡のように湧き上がってくるのを感じる。

これは一体何なのだろうか?

書くということ

書くことは楽しいか?

楽しいとは言えないが、気が紛れる。そんなところ。

自分が書くことは、何か生産的なことなのか?

いや、ただ心に浮かぶことをこうやって書き写しているだけなので、間違っても生産的とは言えないだろう。。

それでは、自分がタイプした文章の集まりは、一体なんだというのだろう?

ーータワゴト

あっても意味がないもの。

でもね、そういうタワゴトすら発せなくなったら、そこに含まれるマイナスの気分が吐き出されることもなく、ずっと自分の体内に蓄積してしまうことになるだろう。そいつはヤバイのではないか。

江ノ島にて

自分から外に出す行為

書くことを通じて、自分の内に溜め込めないで、外に出すようにしたら、きっと何かがわかるだろう。

7月はずっと、内にこもっていた。

ブログの更新も全くしなかった。

エネルギーが内にこもっていたから、不完全燃焼で、くすぶっていたのか?あるいは、低調だったから、外に出せず、悪循環に陥っていたのか?

原因はどうでもいい。

外に出せなかった、出ないかった、という事実が全てだから。

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