ナビゲーションシステムと記録

「今、ここ」に集中するための、アクションのためのツールと「記録」の関係は、考えれば考えるほど悩ましいものです。

「今、ここ」には様々な制約条件が存在するため、どこかで妥協しなくてはなりません。無限の集中力と時間をかければ最大の成果を上げられるますが、そうすることは許されないのです。まさにこのブログのテーマである、Decent、ちょうどいいところ、ちょうどいい塩梅(あんばい)を見つけ出さなければならないのです。

記録を参照する意味

記録を参照する意味は、見通しをもつためだけです。それ以上の意味はありません。

ナビゲーションのための参考情報です。

今日の目的地にたどり着くまでには、地点AをXX:XXに通過し、タスクBを実行して、補給Cを得て、目的地DにZZ:ZZに到着予定、というナビゲーションを実現可能なものに近づけるために、過去の類似の事例の記録を参照し、予測の精度を上げていくのです。

しかしこの情報量が多すぎてしまうと、ナビゲーションするためのバックグラウンド処理が膨大になり、考えるべきことが多すぎて、効率が悪くなってしまいます。メモリを目一杯使いすぎて、動作が遅くなったスマフォやパソコンと同じ状態になってしまいます。

いっぱい、いっぱいになってしまうというやつです。

参照する記録は、最小限にとどめて、随時ナビゲーションを軌道修正しながら精度を高めていくほうが、はるかに効率的です。

ただし、ここにも例外があり、少しでも不安があると足が前に進まない、という傾向があるのであれば、安心できる範囲まで情報量を高めて、予測の精度を上げる努力をしたほうがいい場合もあります。

しかし、残念ながら、完璧な予測などこの世には存在しないのです。

不確実さの中で

変化のスピードが激しくなればなるほど、不確実さは増していきます。

私にとって、不確実さの増大は「おもしろさ」以外の何者でもないのです。つくづく、いい時代に生きているなと、感謝します。登山のバリエーション・ルートが面白いのも、不確実さの中で確実な動作を一つ一つ完璧に行っていくことの醍醐味があるからです。

本質的に、自分でコントロールできないことに対して、恐れたり、不安に思っても、どうにもならないのです。それよりも、自分がコントロールできることをしっかりと見極めて、できる限りの最善手を探し、実行するために、「今、ここ」で何をすべきかということに集中すべきでしょう。

ある意味、割り切りであり、諦めに近いものがあります。「最善手としてできることは、XXXしかない」ということもあり得るのですから。

でも、自分でコントロールできない何かに対して、自分ができることは限られています。唯一の抵抗は、コントロールできないものに対する意味づけを、自分にとって非常に都合の良い意味づけに変えることです。S・ジョブズの「現実歪曲空間」を作ってしまうことです。

わからないから、おもしろい。そういう余裕をいつも持っていたいものです。

記録はあくまで過去であり、現在ではない

だから、必要以上の記録は意味をなさないのです。

精神衛生剤にはなり得ます。それが好きな人もいます。これは嗜好の問題であり、オペレーションの問題ではないのです。

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