「記録」は有効か?

昨日の記事の対となる問いかけです。

「記録」は必要ですか?有効ですか?

ライフハック的なものを見渡すと、「記録」の重要性を説く解説に溢れています。スピードアップを期待しているのですから、昨日よりも今日のパフォーマンスの向上を記録で比較することの意味があるわけです。

しかし、本当にそれが重要なのでしょうか?

記録と予定は分けるべき

最近流行りのBullet Journalの書籍を読んでいて思い出したのですが、「記録」と「予定」すなわちタスクリストのようなアクション事項は分けて管理すべきです。

同じツールを使い続けた場合の弊害は、先の記事で指摘したように「過去の最適化」に縛られてしまうために、「今、ここの最適化」に対応しきれなくなってしまうことです。

その最たる原因は、「記録」を完全に分離しきれないことにあると思われます。

今日の自分は、昨日の自分とは同じではない。というのが私のベースにあります。

環境も違えば、自分の体調も、発揮できる能力も同じではありません。成長している時もあれば、老化していることだってあるでしょう。人の体は、新陳代謝を繰り返して、「寸刻ごとに新しくなる」ようになっているのですから。

まあ、このような考え方は非常に極端であると思いますが、今の自分は「昨日の自分」と同一直線上に存在しているとは限らない、というのが私のデフォルトです。

でも普通は、昨日の自分と今日の自分は同一直線上にあると信じたい人がほとんどでしょう。だから、過去にすがって、今を肯定しようとしてしまう。

でも、私は、コントロールできない過去には興味がなく、コントロールできる今を精一杯やりくりして、明日を肯定したいと思っています。

だから、記録には必要以上の価値を覚えないのです。

登山での好きなスタイルと同じ

山岳会に入会してから、一般登山道ではなく、沢筋を水源から尾根まで登る「沢登り」、バリエーション・ルートがあることを覚えました。この(自分にとっての)未知の道を歩く、という楽しみは、「今・ここ」に最大限集中することと先の見通しを立てて計画的に行動する、という自分の理想とする様式と合致していて、とても気に入っています。

仕事は営業・開発の仕事をしています。1日として同じ日はありません。日々変化の中に身を置くことができています。それゆえ、「今、ここ」に集中することの大切さを実感しています。

記録は、あくまで過去のものであり、「意味づけを変える」ことはできますが、それ自体を変化させることはできません。だから、興味を失ってしまうのです。

その時の経験が、現在の自分を作っていることは認めますが、「だから?」という疑問符がいつもついて回るのです。過去と同じことはしたくないのですから。

ライフハック的なものから、ツールを選定して使うというのは、とりもなおさず「今、ここ」に集中するためであって、過去を参照して、改善の効果を確認して、悦に入りたいからでは無いのです。そのような自己満足が必要なケースもあることは認識していますが、私には必要ありません。それよりも、前に行きたいのです。未踏の地への憧れの方が強いのですね。

記録はあくまで参考情報

だからと言って、記録を完全無視するつもりもありません。

過去はどうしてもついて回るものだからです。それに、全く参考情報なく、未踏の地に足を踏み入れるほど無謀なことはないのですから、参考情報として入手だけはしておく、でも、それにコントロールされない、というのが肝心なのです。あくまで、参考なのです。囚われてはならないのです。

臨機応変に、自由でありたいのです。

当然、失敗も多くするでしょう。でも、失敗を通じてしか学べないことも多々あります。肝心なのは、同じ失敗はしないこと。命を落とすような、致命的な失敗をしないことだと思います。

過去に対する興味は、人それぞれでしょう。私の場合は、極端という言葉を必要とするほど、全くと言っていいくらいに、過去に興味を持っていません。だから、記録に対して冷淡なのでしょうね。。。

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