余白が大事

常に中身がタイトに詰まった状態というのは、思うほどいいことではありません。

  • スケジュールがぎっしり詰まった状態
  • 様々な知識が頭の中に蓄積されている状態
  • きっちりと無駄なスペースなく詰め込まれている収納やカバン

スペースがある、余白があることを、罪悪感のように感じ、スケジュールに余裕があったら別の予定を躊躇なく入れたり、スペースがあるならば欲しいと思ったものを新しく買って収納するなど、「余白=ムダ」であるからもっと有効活用すべきではないかと思ってしまいがちです。

しかし、それではうまくないのです。

ぎっしり詰まっていると取り出せない

ぎっしりと詰まっている本棚を想像してみてください。

参考にしたい内容が書いてある本が収納されているとします。

適度な余裕があれば、サッと取り出して、参照し、元の場所に戻すのに苦労しません。

一方で、ぎっしり隙間なく本棚に様々な本が収納されていたとしたら、

  1. 目的の本を探すのに苦労するかもしれない
  2. 目的の本を取り出すとき、指を入れる隙間がなく、他の本を移動しないと取り出せないかもしれない
  3. 読み終えた本を戻す時も、同じような手間を必要とするかもしれない

というような事態に陥ることが想像できます。

別な例えをします。

赤(イチゴ味)、青(ソーダ味)、紫(ぶどう味)、黄色(レモン味)、橙色(オレンジ味)、ピンク(桃味)、透明(ミント味)、黒(コーラ味)、緑(メロン味)といった、10色・10フレーバーのアメが入った、ガラス瓶があります。

ビンに対してアメが入っている量が8割ぐらいでしたら、目的のフレーバーのアメをゴソゴソと取り出すのは、それほど苦労しません。

しかし、びっしりとビンのふちまで入っていると、運良く一番上にあれば取り出せますが、ちょっと下の場合は、ビンからいくつかのアメを取り出さない限り、目的のフレーバーにたどりつけません。

余裕があるからこそ、目的のものにたどり着きやすくなるわけです。

これは、頭の中でも同じことではないか?と先日、パッと感じたのです。

詰め込みすぎると逆に効率が悪い

特にアイデアを求められるような場合、創造的な仕事を要求される場合、頭の中がデータや知識やタスクなどで一杯いっぱいになっていると、それらを直接必要とするアクションはとても効率的にこなせるのですが、一歩引いて、「点と点を結びつける」ようなアクションを求められると、急にアイデアが貧しくなってしまうのです。

点と点の距離が近いところを繋げるのは苦労しません。でも、それでは大したアイデアではなく、陳腐なのです。

期待されるのは、一見するとまるで関係ないように思えるけど、本質はまるで同じだった、というような、意外性のあるつながりを見いだすこと。
そのためには、先ほどのアメの例えではないですが、シャッフルできる隙間が必要なのです。

単なる物識りがアイデアマンになれないのは、おそらく、点と点をシャッフルする隙間がないからなのでしょう。

スケジュールも同じ

スケジュールも同じことです。

「何かをする」ことばかりを意識しているので、どんどんアポを入れてしまったり、会議の予定を入れてしまったりしがちです。

でも、「何かをする」ことよりも大事なのは、「やったことをフォローする」ことであったり、「きっちりケリをつける」ことだったりします。

解決策を生まないとわかっているのに、グダグダとやりとりを続けるのは愚の骨頂です。時間の無駄なのです。もちろん、心理的に落とし所が形成されるまで、時間をおいたほうがいい場合もあります。

過去の時点で、「やるべきこと」とラベルづけされた時間で1日の時間が埋まってしまうと、その日が来た時「今、ここで、最も大切なこと」に割ける時間が限定されてしまいます。

私たちは、過去の自分の奴隷ではないのです。

先々の予定をどんどん無計画に埋めてしまうのは、過去の自分が将来の自分を支配しているだけのことです。それで、本当にいいのでしょうか?

余白を残しておく、フリーな時間を残しておくのは、その時がやってきたときの自分の裁量権を確保しておくということです。これは本当に大事なことです。

運動をする効果

一時期、エグゼクティブが運動することの利点を語った本が流行った時期がありましたが、運動をするというのは健康のためだけではありません。

私は今ダイエットのために、不定期にスポーツジムに通っています。スポーツジムで、延々と有酸素運動に取り組むと、頭の中が空っぽになって、自分の肉体と対話しながら、プログラムに真剣に向かい合っている状態になります。

仕事の時とは、家庭にいる時とは、完全に異なった「まっさらな」状態になることができます。これはとても貴重な時間でした。

アメ玉のビンの例えにあるように、十分な余白が生まれた感覚でした。

そのフリーなスペースに、ちょっと浮かんだ気になることを乗せると、これまで思いつかなかった新しいアイデアや解決策が浮かんでくるのです。まるで「解き放たれた」というような自由さの中で(肉体は不自由極まりないですが)、点と点が繋がっていくような感じでした。

登山の最中も同じようなことが起きます。こちらはもう少し理不尽なことが多いわけですが、それでも、「今、ここ」に集中することで、雑念が取り払われて、余白を産むことが可能になります。

忙しければ忙しいほど、運動した方がいい、というのは、余白を作るという行為をコントロールできるから。今は、そのように思います。

詰め込み過ぎてもいいことはない

間も無く連休になりますが、連休中の計画も、荷物も、詰め込み過ぎてもいいことはありません。適度なゆったりした、余裕がないと、消耗してしまうだけです。

身を削っても効果が期待できるのは、体力も知力も有り余った若い時だけ。

そういうやり方とは決別して、余白を大事にしていきたいものです。

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