強いコミュニケーションとリーダーシップ

仕事にしても、プライベートにしても、リーダーシップが発揮されないまま、グダグダと時間などのリソースを無駄にしてしまうのが嫌いです。

要は、きちんと状況を整理して、しっかり考えて、地道にコツコツと解決策を立てて、一つ一つを確実にこなしていく、安心感が欲しいのです。他人任せだったり、なんとかなるだろうという希望的な観測にすがるのが、どうにも心許なく感じ、不安になってしまうのです。

きっとそれは、他人の善意に頼るよりも自分で出来る範囲のことをしっかり遣り切った方が後悔が少ない、と考えている性格だからなのでしょう。

リーダーシップの発揮は難しい

私の場合は、そのようになるべく状況をコントロールしたいという欲求が強いので、必然的にリーダーシップを発揮してしまう場面が多くなってしまいます。

いいことのように感じるかもしれませんが、これは非常に厄介なことです。例えば、「おいおい、君がそういう風に決めてはダメだろう」というような、越権行為になってしまうこともありますし、上から目線だ、とか、偉そう、というような、批判を受けることにもつながります。

日本的に、しっかりと根回しをして、承認や後押しを取り付けてから前面に立てばいいのですが、時折そのような手続きを飛ばしてしまいがちなので、軋轢は大きくなってしまうのです。

ダチョウ倶楽部の「どうぞ、どうぞ」ではないですが、問題意識を持って前面に立つと、氷山の上から最初に飛び込むペンギンのように、後方支援もなく、ただ前面に押し出されて疲弊してしまうこともあります。

または、現状維持で良しとしている勢力を脅かすことにもなるので、孤立してしまうリスクも抱えてしまいます。

DecentなLeadershipの発揮が望まれるのですが、なかなかちょうどいい塩梅を見つけることは、難しいのです。

であれば、リスクを抱えずに、黙って見ているだけの方が、トータルで見ておトクになってしまうものです。

少しでも良くしたい

深く課題にコミットしたり、もっと良くしたいと、問題意識を強く持つ限り、当事者としてのリーダーシップの発揮は大切だと信じています。リーダーシップの発揮が強くても、それを認めてもらえるような環境に身をおきたいと思います。

純粋で、まっすぐな想いだからこそ、そうではない勢力からは疎まれてしまうのは、十分にわかってはいます。でも、「変える」ことに積極的である性格、行動様式を今更変えるつもりはありません。

強いコミュニケーション

リーダーシップを発揮しようとすると、コミュニケーションを曖昧にすることが難しくなります。どこまでコミットするのか、何を想定し、対処策を講じたら、誰が、いつまでに、何を実行するのか、事細かに設定し、管理したくなります。

そのようにしないと安心できないからですが、一方でそれを窮屈に感じたり、信頼されていないと感じてしまう人もいます。

しかしながら、「言外の意」を全て正しく汲んでもらえる人ばかりではありません。だから、微に入り細に入り、確認を怠らないようにしてしまうのです。

それは、一方的に管理しているような印象を持たれることがありますし、命令されているような印象を与えるかもしれません。こちらは双方合意の元で決まったこと、と思っていても、相手は押し切られて「やらざるを得なくなった」と感じているかもしれません。果ては、敬意を払っていない、と批判されてしまうことだってあるでしょう。

ではどうするか?

非常に難しい問題です。

前面に立つことなく、賢く振る舞うのが利口だとは分かっています。が、それができないのですから。

今できることは、リーダーシップの問題点を論じている良書を探して読むことであり、コミュニケーションについて学びなおすことかもしれません。

ひょっとしたら、自分の人生における課題の一つなのかもしれません。だから、形を変えて何度も自分に問いかけてくるのではないかと。だとしたら、逃げて回るのではなく、なんとか克服したいものです。

現在考えている一つのアイデアは、相手への敬意を込めた質問形式でコミュニケーションをとることです。問題や課題への認識は共通しているはずなので、それを前提とした質問、「XXXした?」という問いかけではなく、「YYYの問題についてできることはないかな?」のような、建設的な前向きな質問で、全てにおいて下手に回ったコミュニケーション・テクニックを身に付けたいな、と努力しています。

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