参考情報と認識情報

先週末、山梨にある滝子山の滝子沢に沢登りに出かけました。

10月ということもあり、沢の水は少し冷たく、山頂付近は紅葉が見事でした。

色々な達成感と反省点が入り混じっているのですが、一緒に登った方の一言が印象に残りました。

ネットで見た情報だけで登れる

その方は、ブランクを挟んでいるものの若いころクライマーだった方です。

必ず国土地理院の2万5千分の1の地形図を用意し、徹底的に地図読みをして山に入るのが当然と思っていたと言います。

でも、今はヤマレコをはじめとする、山行記録・共有サイトがあり、そこでの情報をスマホにダウンロードすれば、極端な話、地図読みできなくても、ルート判断などができます。さらに、投稿されている写真の情景を覚えていれば、道迷いしやすい分岐点を識別することができ、自分のとったルートが正しいかどうかの確認ができます。

まるで、山岳ガイドに案内されているかのように、登ることができる、とその方は評していました。そして、「時代が変わったのですかね」とつぶやいていました。

私も、それには同意します。

道迷いの心配の少ない、一般登山道であれば、ネットの情報をスマホに落とし込んでおけば、そうそう心配することはありません。

ただ、それは見通しがきく、天候に恵まれた時だけかもしれません。

でも、単独行で、しかもあまり登山者が少ないルートであるなら、ネットだけの情報では限界があるのではないかと不安に思います。

バッテリーだけの問題か?

よくスマホを山登りに利用する際の注意点として、バッテリーの問題が取り上げられていますが、バッテリーだけの問題なのでしょうか?

私が思うには、目の前の地形の変化、植生の変化、気象の変化に気を遣わなくなることの方が、よろしくないのではないか?と。

スマホの情報を信じ込む、というのは、目の前にある情報よりも、過去の情報を鵜呑みにすることになります。もちろん、地図情報はもっと過去の情報ではありますが、その前に目の前の地形を確認し、地図と相関を取る作業をします。

基本は、目の前の情報を丁寧に収集するか、否か、の違いになります。

そのように考えると

  • 参考としてとどめておくべき情報
  • 目の前に広がる、現在自分が置かれている状況を把握する情報

の二つを分けて考え、それぞれ正しく利用するべきかなと思います。

参考情報は、多ければ多いほどいいというものではなく、取捨選択が大切になります。この絞り込み作業は、個人の経験に負うところが大きいのですが、AIが進化すれば、AIの方で最適な絞り込みと適切な提案ができるようになるでしょう。

自分の状況を把握する情報については、GPS、地形図からの見た目のシミレーションでは、不十分な気がします。観察力については、自分自身の能力を高めて、磨き上げる必要があるのではと思います。

目に見えてるという思い込み

みる、と一言で言っても

  • 見る
  • 観る
  • 視る
  • 診る
  • 看る

という具合に、同音異字語があり、国語辞書で調べても多様な「みる」が存在します。

視覚情報が目から脳に届いても、それをどう解析するか?はそれぞれの「みかた」に依存します。熟練者がみとる情報と、初心者がみとる情報とには雲泥の差があるように。

また、注意して、意識を向けないと、見えていても認識できないことは多々あります。気がつかない(見えていたはずなのに)、というのはよくあることです。

とすれば、トレーニングする、訓練するというのは、そのような「みる」という行為の精度、情報収集能力、分析力を高めるということです。

ステップアップするために大事なこと

自分で「みて」、情報収集し、分析し、判断をする、という山行経験を積むことなく、ただ数合わせ的、スタンプラリー的に人に連れて行ってもらうような山行経験とでは、得られる経験値に膨大な差がつくでしょう。

これは何も山登りに限らず、仕事や、プライベートでも同じこと。

ネットの情報を参考にするのはいいのですが、状況把握ができず、分析ができず、判断も人任せにしていたら、人生において積むべき修練を自ら放棄してしまって、いつまでも襲いかかる困難に振り回されるだけになってしまうのではないかと思うのです。

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