落ちぶれた日本で

年末年始のお休みに突入しましたが、今年の年末はこれまでと比べると異様なまでに将来への不安と諦めが渦巻いています。

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外資系企業に勤めている仕事柄、日本と海外を比較する(される)ことが多く、「日本の相対的な価値がどんどん暴落している」現実を突きつけられています。

日本は、じわじわと、確実に落ちぶれました。

今年の会議では、まだ「日本はどうだ?」と気にかけてもらえましたが、そのうち、「そういえば」と前置きがつくでしょうし、そのうち会議そのものに招集されなくなっていきそうな勢いです。

日本からの情報の価値はどんどん低下し、やがて見向きもされなくなってしまいそうです。市場の規模として小さく、特殊すぎて参考にならないからでしょう。

私が担当している製品では、日本の総売上合計でも中国の1社の売り上げに負けてしまうのです。

現実的になってきたJapan Nothing

行き着く先は、「日本市場」の存在価値が大幅に低下し、営業としての仕事が無くなってしまうことでしょう。

10年以上前は、「ジャパン・バッシング(Japan Bashing)」が「ジャパン・パッシング(Japan Passing)」になり、やがて「ジャパン・ナッシング(Japan Nothing)」になると言われていました。

海外を旅行して、想像以上に日本企業の存在感がないことに気がついたのは5年前。でもその頃は、「でも、やっぱり日本製がいい」という声が、たとえ社交辞令であっても口にしてくれる外人がいましたが、今はほとんど聞きません。

そして今年は、中国の失速を懸念しつつも心の底ではそれを願うかのような日本人の声ばかり耳に届く一方で、実際は堅調に推移した中国の勢いに押され、成すすべなく日本の低空飛行は続いています。

仕事では、新しい技術的な提案をしても、中国に先をこされ、日本の先進性を海外に紹介する機会を作るのが難しくなっています。

そうなってしまうと、日本市場の魅力はどんどん乏しくなり、広大なアジアの辺境国に成り下がっています。やばいです。仕事がなくなっていくのではないかという、現実的な不安を感じます。

日本企業の終わっている感

しかし、閉塞感は外資系企業に勤めている私だけではないでしょう。

典型的な日本企業と仕事して思うのは、

  • 「形式」ばかりが整っている申請や登録などの業務
  • 膨大な書類仕事で、全然ITが活かされていない
  • 成果を期待していながら、成果を上げることより手順に従うことを要求する
  • 変化が対応しようと言いながら、変化を受けつけにくい仕組みにしている

といった、頭の固い人を相手にしているような、硬直性を感じて愕然とします。

「終わっている感」が、ハンパないのです。

私のような、40歳半ばを過ぎた世代でもそう思うのですから、携帯ネイティブ、スマホ・ネイティブな世代では、余計に閉塞感を感じるのではないかと思います。

特に、テクノロジーとの親和性が低いマネージメント層が害悪です。

そのような人に、ロボットやITなどの新しいテクノロジーを利用して「いかに生産性を高めるべきか?」という話をしても、馬の耳に念仏どころではなく、もっともらしいセキュリティの不備、漠然とした不安などによる思考停止で、逆ギレ的に異端として凶弾されるのがオチです。

もちろん、全てがそうではないと思いますが、大多数はまだ20世紀に生きている会社ばかりです。

自分にできることは何か?

世間全体では、2020年の東京オリンピックまではこの「閉塞状態」は顕在化しないでしょうが、一旦顕在化したら、坂道を転げ落ちるかのように悪化するかもしれません。

今は、ほどほどが無くなった「ブラック・スワン」の世の中になっています。

ソフト・ランディングは期待できそうにありません。

そんな厳しい日本になっていくとしたら、我々一人一人は何をしたらいいのでしょう?

答えはどこにもなく、自分で見つけるしかないはずです。多様性の世の中になるのですから、誰にでも成立する解などないのです。

2018年は、準備の一年になりそうな気がしています。

2020年まで、あと2年あります。今から始めれば、遅くない!そう信じたいです。

このブログを書くことも、大変な2020年以降を生きていく為の一つの努力になるでしょう。

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編集後記

2018年について、私は悲観的です。

悲観的だからこそ、よく考え、準備し、行動したいと思います。

本ブログ記事の感想、ご意見などございましたら、お気軽にコメント欄にご記入ください。

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