消耗感への対処策としての「書く」ということ

最近振り返ってみると、文章を書くという行為から随分と遠のいています。

もちろん、営業という仕事をしていますから、

  • パソコンやスマホで何らかの文章をタイプしているし、
  • 手書きで手帳にメモしたり、
  • 打合せのノートやメモを書いたり、
  • レポートや報告書をまとめる

といったことはしています。

しかし、です。仕事以外の場面では特に、そして仕事においてすらも、何らかのまとまった文章をノートなどに「手書きで書く」ことはしていません。

日記はすでに電子化しています。5年日記帳は本棚に埋もれたままです。

モレスキンのノートも、思い返すと随分と手に取っていません。

ノートにびっちりと「文字を書きしたためる」ということを、随分久しくやっていないのです。

「ノートに書く」という行為自体は、取るに足らないもののように思えます。

普段からやっているようにも錯覚します。

しかし、「そういえば、、、」というくらい、普段は全く意識をしていません。

きちんと振り返らないことには、やっていないということですら気がつかないのです。

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 漠然とした消耗感

最近、何だか不調でした。

体の調子がというよりも、心のバランスがおかしいのです。

傍目には普通ですが、なんだか自分の内側から湧き上がってくる熱い想いみたいなものが薄らいで、得体の知れないモヤモヤ感や不安、漠然とした不安や焦燥感が湧いてきて、イライラしがちだったのです。

その原因はどんなところにあるのだろうと、時間を見つけては考えていました。

すり減る前に

その過程で気がついたのは、

  • 自分の中に蓄積されていくものが少なくなり、
  • 成長実感というか、年相応に積みあがっていくものの実感に乏しく
  • このままでは、どんどん磨り減ってしまうだけ?

などという不安が根本にある、という結論に至ったのです。

そういうこともあって、まだ不定期ですが、ブログの投稿を再開しました。

発信する、アウトプットする機会を作ろうと。

で、実際に数回ブログ記事を投稿してみたのですが、いまひとつしっくりしないものを感じています。

「書く」という能力が、完全に錆びついています。

パソコンを前にして、なんでもいいから思いついたことを書こうとしても、言葉が続かなかったり、途中で論理が破綻してしまったりします。
何よりも、心地よくないのです。
辛くはありませんが、ウキウキとした楽しい感情に乏しいのです。

手書きノートの復権をしてみる?

で、対策として考えたのは、もっと自分自身の人生すべての側面について、とにかくダラダラと人目を機にすることなく、「ノートに書く」ということを再開してみようと思ったのです。
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合理的な判断をしたがる私は、後で活用できる見込みの少ないノートを書いたり、文章を残しておくことが嫌いです。それに、そもそも振り返ること自体が嫌いです。

だから、メモというものはほとんど書きませんし、残しません。

タスクとして、To Doリストのようなもので管理するか、すぐその場でやってしまって、後回しにしないようにしています。

だから、特別な理由なく、ノートにダラダラと書き連ねることができるのか全く自信がありません。

でも、あまりにその場その場で対処することが多すぎて、通過量が多くなりすぎているために、道路のアスファルトの摩耗のように、靴底のヘリのように、自分自身が摩耗しているのだと思うのです。

再舗装するように、ワックスをつけて摩耗から守るような役割を、手書きでノートに書くという「写経」のような行為を通じて、心が整理するだけの十分な時間とその機会を確保するようにしてみようと思います。

そういうことをするのも、定期的なレビューと言えるものの本質なのかもしれないですね。

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編集後記

今朝は予報通りの雨です。昨日は、東京は晴れましたが、相変わらずスッキリしないですね。天気予報によると、来週はずっと天気が良くないようです。雨が終わったら、秋が本格的にやってきそうですね。

本ブログ記事の感想、ご意見などございましたら、お気軽にコメント欄にご記入ください。

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