ブロガーと言葉〜「悲嘆の門」を読んで

Bookmark this on Livedoor Clip
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on @nifty clip
Pocket

自分が書く言葉は、紡ぐ言葉は、自分が知らないところで増幅し、そのすべてが自分に振り戻ってくる。

意識的に、私は、このブログに書くことのみならず、SNSや、日常においても、「毒のある言葉」を口にしない、書かないようにしています。どうしてかというと、言葉は一人歩きします。考えたことや、思ったことを言葉にすると、この言葉が力を持ってしまって、自ら増殖して、進化していく怖さを感覚的に感じるからです。

スポンサーリンク

特に、渇望がからむ憎悪をはらんだ言葉は、自らの内側を蝕み、私たち自身を変質させてしまいます。言葉には「毒」があるのです。

その「毒」と「自己満足の正義」と「愛」が、底辺で流れる物語、「悲嘆の門」を二日間で読み通して、じんわりと感じたところです。

前半はゆっくり進むホラーな色彩。

後半は、英雄に堕ちていく主人公の物語

言葉の持つ力

ブログを書くという行為は、ネットの世界で発言するという行為です。

その蓄積が、ブログサイトの人格を構成していきます。だから、このブログは、紛れもなく、もう一人の私としての性格を持っています。そして、肉体の私から離れて、ひとり歩きしてしまうものです。

だから、何を書いてもかまわないというものではありません。自分が考えたこと、感じたこと、学んだことをまとめ、顔も見えない知らない誰かの役に立ったら嬉しいなという自己満足で書いています。しかし、もっと本質的には、これまでの自分と、これからの自分に向けて、頭を整理して書いているだけにすぎません。

そうして発した言葉の蓄積が、「別の私」を作っています。だから、ネガティブなこと、嫉み、僻み、誹謗中傷、自分勝手な思い込み、といった、負の要素を極力排除しようとしています。

何気なく書いているこのブログの内容が、薬にもなるし、毒にもなります。なぜなら開かれた場所に書いてあるもので、誰にも読むことが出来るものだからです。そして、肉体を有する私自身とは別な形で「存在」し、伝播していくのです。それが、「物語」というものでしょうし、ひとつのものの見方・解釈であるとことろの「パラダイム」と呼べるものになるのだと思います。

ネットの世界

ネットの世界は、一見自由です。何を書いても良いように思えます。

でも、言葉は人の心を温めることも出来れば、困っている人をLifehackなどで手助けできることもできます。しかし、その一方で、いじめの環境を作ったり、人を乏しめたり、あることないことを喧伝して毒をまき散らすこともあります。

それにもまして、複雑化したこの世界では、単純に「善と悪」を区別することは出来ません。白黒つけることが出来ない、濃淡のあるグレーな世界にいます。簡単に断罪できるものではないというのも、事実です。

であるならば、せめてブログを更新し続けるものとしては、「渇望」にとらわれないよう、ネガティブな発言はしないように、意識を持って取り組まなくてはならないのではないかと思うのです。

24時間以内に読まれている記事

スポンサーリンク

編集後記

2日前に、電車で1時間以上かかるお客様のもとへ移動する間に、なんか本を読みたいと思って手に取ったこの本。あっという間に読み終えてしまいました。

最初は、もっと簡単にこのホントのなれそめとか、読み進めているときの感じとかを書こうと思っていたのですが、相変わらず、固い内容になってしまいました。それだけ、読み終えたときの衝撃が凄まじかったのですね。

本ブログ記事の感想、ご意見などございましたら、お気軽にコメント欄にご記入ください。

スポンサーリンク
Bookmark this on Livedoor Clip
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on @nifty clip
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です