「やればできる」のか「やることができないのか」

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風邪をひいてしまったので、週末はひたすら日本を読んでいました。その中から、一冊をご紹介。

思春期の特徴として、ある時期、勉強やスポーツ、芸術面などの才能が急激に伸びることがあります。やればやるほど成果が出るので、自信がつき、さらにがんばろうと思います。自分の才能を過信しがちになる人もたくさんいます。しかし、有名なスポーツ選手にもスランプの時期があるように、才能はある程度伸びたところで必ず頭打ちになります。実は、ここからが本当の勝負のしどころなのです。所詮自分はこの程度だ、とそのまま下降線をたどっていく人。あせらず、結果が出なくとも努力を続け、現状維持する人。ここが踏ん張りどころとさらに努力し、次の上昇線に乗る人。三年生の担任を持つと、受験を前にして「この子はやればできるんです」と保護者の方からよく言われるのですが、この子、の大半はこの分岐点で下降線をたどることになった人たちです。「やればできる」のではなく「やることができない」のです。

湊かなえ 「告白」第一章 聖職者 より

この文章を読んで、むむむむむ、と唸ってしまいました。

というのも、自分から限界を感じて「これ以上は無理だから」とそれ以上を目指すことを諦めてしまった、という経験を思い出せないからです。でも、自分から限界を設定してしまって、そこから前に進むことをしようとしない友人がいたのも事実です。

いや、傍目にそう見えているだけのことで、本人はこれっぽっちも諦めていないのに、周りが勝手に解釈してしまうので、努力することがむなしくなってしまって、結局諦めてしまうのかもしれません。

あとちょっとだったのに

慰めにもならない言葉です。もう少しがんばれば良かったのに、、、、そりゃあそうなのです。そんなことは、たいてい多くの本人は分かっていることでしょう。でも、その「ちょっと」が限りなく大変なのです。厳しいのです。

それは、文字通りの「ちょっと」なのではありません。受験勉強における正月休みというものとも違います。数日の勉強で合否が変わるほど甘いものではないでしょう。

「あとちょっと」というのは、本人しか分からないところであり、周りがとやかく言うことではありません。結果論としての「あとちょっと」は、慰めにもなりません。逆に「言葉の暴力」ですらなりえるのではないかと。

伸びきったゴムひものように、精一杯だったのか。

できたはずの努力をしなかったのか。

あきらめが入ってしまっていたのか。

それぞれに状況は異なるはずです。

伸び悩みをどう克服するか?

だれだって、伸び悩む時期があります。

それは思春期だけのものではなく、ずっと死ぬまで存在します。人として生きていく以上は何らかの成長を求められているからです。年相応とか、年齢からの分別というのは、そういうものです。動物ではないのですから、生きていく以上は成長していかないといけないのです。

だから、当然伸び悩む時期は誰にも定期的に訪れるものです。伸び悩むというよりも、困難に見舞われる、とした方が分かりやすいとも言えます。「厄年」というのも、人としての成長の分岐点であり、人それぞれの困難に直面しやすい時期というものです。

そういう時期が誰にでもあるのですから、自分だけ特別ということはまずありません。順調そうに見えた友人が、どろどろのドラマびっくりの凄まじい困難に直面していた、という話も結構ありました。形を変えて、困難は等しくやってくるのです。

要は、伸び悩みなり、困難にどう対処していくかです。

  • 歯を食いしばって、さらに努力をする
  • とりあえず、現状に対処して、嵐が過ぎ去るのを待つ
  • 現実に向き合うことなく、逃げる

大雑把に分けると上記の3つに大別することができるでしょう。

最悪なのは、逃げてしまうことです。この場合、逃げたと思っても、いつまでも追いかけてくるものです。多分、人生において超えるべき試練だったからでしょう。だから、いつまでも追いかけてくる。

逃げられるものではない、そう思っておいた方が良いだろうと思います。

逃げられないなら、

直面している現実からは、逃げることはできません。ムダなことなのです。

一見楽に見えてしまうけど、自分にはできないと思うかもしれないけど、現実から逃れることはできません。もう、向き合うしかないのです。当たって砕けることを覚悟せざるを得ないのです。

だったら、とことん楽しもうという姿勢でいかないと損です。悲壮感満載でやっていたら、つらくなるだけです。

できる・できない、で考えるとつらくなります。そうではなく、「楽しみや面白さ」を見つけてみようと思うことです。もしくは、ゲームだと思うことです。新しいドラマを作っているのだ、小説のネタになるかも、と自分の好きなことに結びつけて、楽しむ方向に自分の注意を向けていくのです。

「やれば、、、」から脱却して「やりたい」へ

「・・・ねばならない」というのはとてもしんどいです。

楽しいわけがありません。おもしろいわけがありません。義務とか責務というのは、自分の存在意義になりえますが、前向きというよりは背負うようなものです。だから、やらないと「できない」ということになってしまう。しかも、義務感が漂うので、罪悪感めいたものが漂うし、自分の能力が否定されたかのような状態・状況に至ってしまいます。再開は容易ではありません。

しかし、楽しくて、おもしろくて、やりたくてしかたがないことは、やらないという状態であっても否定的なニュアンスがなくなります。ただ単にできなかっただけ、それだけのことであり、「いつでもやればいいこと」という軽いものになります。再開は至って簡単です。

「やればできる」という状態は、「・・・ねばならない」という状態です。
決して「やらなくてもいい」とはいってくれません。この状態のままでいると、本当につらいことになってしまいます。そこから何とかして楽しさ、面白さを見つけ出す努力をしてみる。もしくは、自分にご褒美を与えることを考える。そうして、少しでも「やりたい」という気持ちを生み出していく。

少しでも楽しさや面白さを見出すことができれば、それを実感する行動をおこして、ただ楽しむだけでいいのです。そうして、「やりたい」という気持ちを増幅していくのです。

楽しむ・面白がるは一つの能力

どんな状況であっても、楽しむことや面白がることのできる人がいます。これは、特殊能力と言っていいくらいにすごいことです。私の理想でもあります。それができたら、ずっと幸せでいられるだろうと思うからです。いつも前向きな生き方ができるだろうと、思うからです。

命令や義務感で行動を決められるのは、楽しいものではありません。でも、そこに自分なりの意義、楽しさや面白さを見出すことができれば、苦にならないだろうと思います。大切な能力だと、思います。

能力だと書いているのは、誰にでも習得できることだと信じているからです。人間として備わっている「能力」だと信じています。ただ、往々にしてその存在と力を忘れているだけではないかと。

わたしは、その能力を伸ばしていきたいと思っています。そして、それこそが、「やればできる(のにやらなかった)」の問題を解決することにつながるのではないかと思っています。

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編集後記

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