心技体と幽体離脱

右と左があるように、対極もまた有効であることはよくあります。

例えば、武道ではよく「心技体」を一致させることの大切さを説きます。

しかし、時には「幽体離脱」のように、自分の体と意識を引き離して客観的に見たほうがいい場合もあります。

幽体離脱が有効な二つの例

例えば、満員電車。

体の隅々まで神経を張り巡らせて緊張していたら疲れます。

見ず知らずの人に押され、体の自由がききません。満員電車が好きな人は、かなり奇特な部類に属することでしょう。

そんな時は、幽体離脱して意識を自分の体と距離をおく。
そうすることで、少しは楽になります。
押され、押し返すことに意識を向けるのではなく、流されるままに体を預け、収まるところに任せ、無駄な抵抗をしない。
そうして、体から離れて自由になった精神で別なことをするのです。

別な例では、健康診断。

一つ一つの検査は面倒なだけで、不快なものもあるし、楽しさを見出すことは困難です。
義務感とか、不安とか、そういった負の面からくる要請を満たすためにする行為の典型例といっていいでしょう。

では、このように考えてみましょう。

自分の体は、自分が人生を送る上での乗り物である。
それゆえに、点検・メンテナンスが重要だと。

体からの呪縛から離れた精神で、自由に時間を過ごしてみる。

負担の大きい胃カメラも、自分の体は串焼きの魚になっているだけのこと(なりたくはないですが)。
でも、精神は自由。

自分の体を見下ろす位置に精神の視点を置いて、自分を客観視してしまう。

全部自分ごとと捉えて、真正面からストレスを受け止めているから辛くなってしまう。
上手に受け流すには、体と精神の距離を上手にコントロールして、離してしまうのです。

営業でも幽体離脱

私は、素材の営業の仕事をしています。

良いこともあれば、悪いこともあります。悪いことの典型は、トラブル・シューティング。
好きでもない顧客の怒りを被らなければならない時。

お客様の怒りを全部自分自身への怒りや批判として受け止めていたら、心がもちません。
いつか精神を病んでしまいます。

お客様の期待は自分という人間に対するものではなく、勤めている会社に対して向けられているもの。
だから、自分のこととして受け止めない。

幽体離脱。

自分の体は、会社という組織の窓口としてここに存在しているだけ
私自身の精神的な存在が脅かされているのではない。

自分のコントロールが効かないことは、突き放して幽体離脱してしまうのです。

自分事ではなく、他人事にしてしまうのです。

バランスが肝要

いうまでもなく、万事幽体離脱していたら、主体性がなくなります。

人生の傍観者になってしまいます。

何事もバランスが肝心なのです。

自分にとっての「ちょうどいい」バランスを見つけるしかありません。

両極端に走ることなく、自分なりの立ち位置を見つけること。

それが個性であり、わたしが「私」であるための「大切なポイント」なのです。