自転車事故を経験して

自転車事故に遭ってからというもの、自分のものの見方が変わってしまいました。

自分の身は自分でしか守れない

まず一番の感じたのが、自分の安全への意識が、巡り巡って自分を助けてくれるということです。

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誰しも好きこのんで事故に遭っているわけではありません。が、避けられず、事故になってしまうものです。その時、誰も私のことなど救ってはくれません。運動神経の善し悪し、判断の善し悪しも大きいのですが、

  • ヘルメットをきちんと着用していたのか?
  • グローブをはめていたのか?
  • 肌の露出を最小限にしていたか?
  • きちんと整備された自転車に乗っていたか?

といった、自転車に乗る前の服装や整備が肝心になってくるようです。

私の場合は、上記の4つが守られていたこともあったからでしょう、傷が後にも残るような大きな怪我(歯を折るとか骨折するとか)を負うことはありませんでした。自転車の損傷からすると奇跡的なことでした。

ただ、あまりにも怪我の程度が軽かったために、事故そのものを過小評価してしまったのは、私の失敗でもあります。もちろん、無事であることが何よりです。

気の緩みが事故を呼び寄せる

精神論ではありません。

気の緩みというのは、一日一日を真剣に生きる姿勢が緩むことです。惰性で毎日を過ごしていたり、主体性がなく周囲に責任を押しつけながら生きていたり、自分勝手な振る舞いを自制することができない状態だったりすることを、意図しています。

私の場合は、

  • 通勤に自転車を使うことに慣れが生じていた
  • そのため、必要以上に速度を出して自転車を走らせていた
  • 仕事で行き詰まり感を感じていて、モヤモヤした状態だった
  • 今日はこれをやるぞ!という前向きな状態ではなかった

そんな状態でした。油断と慢心と、主体性のなさ、そういった状態のところに事故に付け入る隙を与えてしまったようです。

人生は有限であること

当たり所が悪ければ、今生きていなかったかもしれませんし、後遺症を負うようなひどい怪我になったかもしれません。今回の事故で大きな怪我をしなかったことには、なにか意味があるのでしょう。まだ、人生でやるべきことが残っているのではないか、という前向きのメッセージだと捉えました。

そうであるなら、もう少し現状のモヤモヤとした行き詰まり感と正面から向き合いながらも、自分の可能性をもっと前向きに信じて挑戦しようではないか。と思うようになりました。自分がやりたいこと、寝食を忘れて没頭することをやらないと、残された人生に悔いを残すのではないかということを。

一日一日を真剣に生きよう

今からでも遅くはない。

何事もそうだと思うのです。気がついた時に行動に起こすこと。しなければならないと思った時に実行に移すこと。行動するのに遅すぎるということはないでしょう。

遅すぎるというのは、判断から行動に移すまでに必要以上の時間を浪費することです。やらなきゃ、やらなきゃ、と思っていて、何も行動に移さないことが、一番問題ではないでしょうか。

事故に遭うのはイヤなことですが、緩みきった日常に対する警鐘だったと思います。そう思って、毎日をもっと前向きに、楽しんでやろうと思います。

ですので、事故後1週間ほどで自転車に復帰しました。しばらくは通勤だけに限定して、自転車の保険(通勤以外の使用をカバーするもの)を検討するつもりです。

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編集後記

わらしべ長者ではないけれども、起きたことはすべて前向きに捉えて、自分自身を良くしていきたいと思います。成長の機会として捉えたいですね。

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