体験は微細なことまで体感感覚として残るもの

当ブログで途中までご紹介しましたように、3月上旬に13日間、ペルーとボリビアに行ってきました。

そのときの記憶というのは、非常に鮮明に残っています。景色というよりも、体感で覚えています。文字通りの全身全霊で。

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圧倒的だったウユニ塩湖での体験

ウユニ塩湖の表面を水が覆い、雲が水面に映って、天空の中にいるかのような感覚。

吹き抜ける風と、照りつける太陽。

サングラス無しには、目を開いていることができないくらいの強烈な光のなかにじぶんはいた。

しまぞうりをはいて、ざらざらとする塩湖の表層を歩き、水に足首までつかりながら夢中でシャッターを押していた。

水面に浮かぶ雲と絶景のパノラマを愉しみながら食べた昼食の味。

すべての体感的なものが、身体の中にしみこんでいる感じがする。

言葉にはできないけど、感覚的な記憶

そんな話を、母と電話で話していたら、気がついたら、1時間以上も話し込んでいた。経験を共有しているからこそできる話で、こういうのは何事にも代え難い。

母は、旅行のことを友達、親戚や近所の人などにきかれても、あの感動を共有することはできないと思っているから、何も話していないという。

自分も、良かったよ、と人には言うけど、どう良かったのかを説明するのは非常に難しい。

何というか、言葉に表すことができないけど、体感してきた記憶というのはとてもクリアで鮮明だ。

それもあってか、ブログで旅行の様子を紹介する記事はマチュピチュまでで止まっています。何とか時間を作って再開したいとは思っていますけど。

自我のあるうちは奪われないもの

自分の精神が確かなものとして、私の自我と共にあるうちは、誰からもこの幸せな記憶を奪われはしない。

財産やモノは、跡形もなくなくなるかもしれないが、こうした記憶は没収されることはない。忘却だけが唯一の危険であり、思い出を共有している母と語り合えなくなることだけが、リスクである。

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編集後記

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