ずるずると先延ばしできる〆切り(いつ寝るか)と常に前倒ししかできない〆切り(出勤時刻)

朝の時間と夜の時間の何が違うのか?

物理的な時間は一緒です。朝の1分も夜の1分も全く同じです。

ですが、その1分の価値、どちらかというと心理的な価値ですが、それは違うだろう、と多くの人が賛同してくれると思います。ほとんどの人が、「朝の1分の方が貴重」という意見に同意してくれるのではないかと思います。

なぜなんでしょうね。

理にかなっていないのですが、何となく真実っぽく受け入れてしまいます。

一体何が違うというのでしょうか?

拘束される時刻というものが朝にはある

昨日の投稿で、「限界起床時刻」という変なコンセプトを提示しましたが、「定時」、「開始時刻」というものが明確に定められた会社勤めをしていると、どうしてもある時刻までにしなくてはならないことが決まってしまいます。フレックス出勤というものがありますが、それでもだいたいX時までに出勤しなくてはならないという、暗黙の了解はあります。

例えば、9時から会社での仕事を始めなくてはならないのであれば、9時までには会社の机についている必要があります。通勤時間が1時間であれば、少なくとも8時までには家を出なくてはいけない。身支度に10分かかるのであれば、少なくとも7時50分までには起きなくてはならないというように。

この7時50分に起きるというデッドライン(これより寝過ごすと、遅刻は確定)が「限界起床時刻」になります。さらに、8時が「限界出勤時刻」ということになりますね。

つまり、後ろ、おしりといっても良いのですが、厳格な〆切りが設定されているのが、「朝」の時間です。だから、1分、1分の遅れが、出勤前に使うことの出来る時間の減少につながります。「あとXX分」という形で常に見えているために、時間を認識しやすく、切実感が出てくるのではないでしょうか。それと同時に、「あとY分あれば、**が出来るのに!」という、かけられる時間と出来ることの相関が非常に明確になるからこそ、時間の価値をリアルに認識できるのではないのでしょうか。

就寝時刻はずるずると先延ばししやすい

一方で、夜の時間は睡眠時間というバッファー(緩衝時間帯:ここで時間調整が出来る)が存在します。10分ベットに入る時間を遅らせても、睡眠時間をその分削れば、問題はなくなります。睡眠時間を調整することで、起きている時間を長くしたり、短くしたり出来ると、思ってしまいます、感じてしまいます。そのため、ベットにつく時刻、すなわち就寝時刻がずるずると遅い時刻へと先延ばししてしまいがちになります。

また、〆切りに追われていると、睡眠時間を削ってでも仕事などをしなくてはならないという状況もあります。そんな場合は、睡眠時間を削ればよい、などと考えてしまって、ずるずると起きている時間を長く取る方向で、時間を見積もってしまいがちです。

その結果、何が起きているかというと、「睡眠時間」という「埋蔵金」をあてにして、時間が足りなければ睡眠時間を割り当てればいい、と短絡的に考える傾向が強まってしまい、「今の1分」に対する集中度が下がりやすい、「甘え」を産む土壌を熟成させてしまいがちです。真剣にやれば1分で出来ることを、だらだらと「2分」かけてしまうことにつながります。なぜなら、睡眠時間という時間貯金を使えば何とかなるという甘えがあるからです。

いずれ、睡眠時間という時間貯金を食いつぶし、「徹夜」という状態になってしまうでしょうが、そうしたら、「徹夜してやった!」という事実だけが残り、実行したことの品質を無視して、「これだけ頑張ったのだから」という根拠のない自己欺瞞(慰め、自己満足)に浸るだけのことで、一切生産的なものはありません。自分を甘やかせるだけのことです。

時間の考え方が朝と夜とでは180°違うという事実

これまで考察してきたように、「朝」と「夜」とでは、時間に対する考え方、姿勢ともいえます、が180°異なっています。

朝は、デッドラインが明確です。

  • いつまでに何をしなくてはならないのか
  • 最低限しなくてはならないことは何か
  • 今、XXをしたらZZ出来なくなるが、XXかZZかどちらを選択すべきか

といった質問に対して明確な回答を必要とします。

一方で夜の場合は、強い意志がない限りずるずると撤退可能な意識的なラインしかありません。すなわち

  • あれ、もうこんな時間?でも、XXをやらなくちゃ!
  • とりあえず、とにかく、このタスクたちを片付けたい!
  • あれも、これもやりたい!選ぶなんて無理!とにかくやる!

というような、意識構造になってしまいます。だらだらと仕事を積み上げる行動を取りやすく、選択と集中が十分になされないまま、勢いだけで乗り切ってしまいそうになります。そして、夜も深まれば、第二次世界大戦の日本軍と同じように、「戦力の逐次投入(ピースミールアタック)」をして、全力でタスクを一つずつこなすのではなく、だらだらとながらでこなすようになり、戦線をずるずると後退せざるを得ない状態へと陥ってしまうのです。

朝はデッドライン仕事術、夜はずるずる・だらだら仕事術

それぞれの時間のキャッチフレーズをつけるならば、朝の時間は吉越さんの「デッドライン仕事術」に相当します。〆切りを動かすことが出来ない状況なので、どうしても残りの時間を気にせざるを得ません。一方で、夜はずるずる・だらだら仕事術。その背景には、「睡眠時間」という埋蔵金があるからです。埋蔵金をあてにした、民主党政権と同じ。グダグダのズルズルになってしまいます。

ところで、民主党政権みたいな人って、確かにいるような気がしますね。そうなりたくはないものです。

時間の性質が違うのだから、モードの切り替えを考えるのもアリ

昨日から、こういった時間の性質の違いを考えていました。で、ブログにも書いてみて(今最後の部分ですが)、ぱっと思いついたのが、時間の性質がそもそも違うのだから、自分のモードも同じように切り換えればいいのだ!ということ。

夜は、ズルズル、ダラダラになるのだから、そういう状態が最適なモードでやりたいことをやるようにすればいい。とりとめないことや、考えを深めようと気が狂いそうになることを考えればいい。朝は決して思い出すことがない、昔の恥ずかしくなるような想い出が、夜になってふっと現れて、一人気恥ずかしくなることがありますが、それは、夜はそういうモードになりやすいからそうなるのだ、と理解して、逆にそれを利用してしまおう!というしたたかさを発揮したいものです。

だからこそ、時間帯によって、モードを切り換えればいいのです。

編集後記

朝の早起きも、もう3日目。別に習慣にしようと、目覚まし時計をかけたり、意気込んでいるつもりはありません。自然といういった状態になっていますし、違和感も感じません。なぜなら、娘と一緒に寝る、という就寝時刻が思い切り前倒しされた状態なので、自然と同じ睡眠時間で起きるため、目覚まし時計なしで、早朝普通に目が覚めます。「寝不足」感は、一切ありません。

朝早く起きるからといって、特別なことはありません。いつも夜にやっていたようなことを朝やるだけです。テレビもほとんど見ていませんし、Twitterもほとんどしていませんので、時間帯が違うことへのストレスもありません。相当に変わっているのでしょうが、別に人に合わせたいとも思わないので、違うことへのストレスもありません。やっぱり、変人ですね。

でも、変人であることは自分に対する最大の賛辞の言葉だと思っています。

だって、普通って何?それで、何が面白いの?と思うからです。自分の存在価値って、人と違うことにあるから、と信じていますから。

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