You are not Special.

Timeの電子版を読んでいて、次の記事を見かけました。

こちらの記事で紹介されていたのが、 David McCulloughさんによるWellesley高校の卒業式における祝辞のスピーチです。

do not get the idea you’re anything special. Because you’re not.

「世界に一つだけの花」のメンタリティ

このスピーチの内容をざっくりと読んで、こういうところは日本的なメンタリティーは捨てて、You are not Special.であるということを、しっかりと認識するようにした方が良いだろうな、と思うのです。

というのは、以前ネット上で「世界に一つだけの花」のメッセージに対する議論がありましたが、あまり生産的なものには感じられませんでした。オリジナリティーを肯定するのは悪いことではないのですが、なにをもってオリジナルとするかについて、もう少し良く考えた方が良いのではないかと思うからです。

少なくとも、高校を卒業したレベルでは、まだ何者にもなっていません。だから、自分を特別視することについて、注意を喚起する意味での”You are not Special” というメッセージは、とっても大事なことではないかと思うのです。

メタ認知の重要性

要は、自分を客観視できるか否かということが、大きなポイントではないかと思うのです。心理学用語でいうところの「メタ認知」というものです。

高校を卒業した段階では、自分にどのような才能や能力があるのか、未知の領域が大きいものです。興味を持ったことに対して、学んだり、経験を積むことによって、少しずつ「自分の適性」に気付いたり、判断することができるようになった、と振り返って見てそう思うのですが、その渦中にいる時はそう言ったことはあまり意識できずに、若さゆえの勢いにだけ任せて、突っ走ってきたような気がします。

「自分」というのは、自分自身が一番分かっているようで実は一番分かっていない、ということが往々にしてあるものです。心理学における研究結果からは、試験の出来が悪い生徒ほど寛容な自己評価をしがちである一方で、試験の出来の良い生徒は逆に厳しめの自己評価をする傾向にあるとのことです。自分ができていないという、ネガティブな一面を見ることを避ける心理が働いて、厳正に事実を直視することができなくなるのだそうです。また、誰しも、自分は平均並み以上だと思いたがるものです。統計学的にそんなことはあり得ないのですが、並以上であると自分を信じ込ませることによって、心理的な安定を計っているのだそうです。

つまり、自分を正しく評価することは難しく、バイアスがかかりやすいのです。自分が本当に他人よりも優れていることは何か、強みが何かを把握できていれば、その強みに集中すれば良いのです。しかし、それがわからないからこそ、「自分探し」に悶々としなくてはならないのです。

正しい自己評価のための2つのアドバイス

前掲のコラムには、正しく自己評価をするための二つのアドバイスが述べられていました。

  1. 正直に他者と比較する方法を学ぶこと
  2. 高い頻度で、的確で、具体的なフィードバックを得ること

どちらも、「分かってはいるけど、なかなか難しい」ものですね。学生であれば、教師や研究室やゼミなどの指導教官や先輩などから教えてもらえる機会があるかもしれませんが、社会人となるとなかなか難しいものですね。

1の「他者との比較」については、まず心掛けたいのが「謙虚さ」ではないでしょうか。少しでも自分に傲慢さが存在すれば、冷静に、正直に、他人と比較することは、不可能になりそうです。自分を高く評価してしまうからです。プライドがあれば、なおのこと妨げとして働きそうです。自分を卑下する、惨めな自分に気が付く怖さに目を向けるのではなくて、もっと生産的な、「憧れ」とか「ロールモデル」のような、優れた人の手本を持つことが良いのではないかと思います。すなわち、常に上を見て、自分を引き上げて行くことを考えるのです。今はまだイマイチだったとしても、目指すところが明確であり、改善ポイントが分かっているのであれば、後は行動に移すのみだからです。アクションに落とし込めれば、ずいぶんと安心することができるものなのです。

2のフィードバックというのが、一番厄介です。なぜならば、そういうフィードバックをくれる人が、なかなかいないからです。特に、年齢を重ね、ポジションが上がるほど、有益なフィードバックが得られる機会は減っていきます。でも、おそらく重要なのは、そういう事実を認識した上で、あらゆる機会を捉えて、フィードバックをもらおうという貪欲な姿勢が大切になるのではないかと思うのです。

「謙虚」でありつつも、「貪欲」にフィードバックを求める。

非常に矛盾した姿勢のようにも感じられますが、そういった二律背反するもののバランスを取り、清濁併せ呑む技量が、必要なのですね。

21世紀に生きる上での必須の能力とは

21世紀を生きて行く上で、最も大切な能力はなんだろうか?とこの歳になって思うのは、やはり、「自分を正しく評価する能力」なのではないでしょうか。自分のことを正しく評価できなければ、自分より優れた他人を評価することはできませんし、協力をお願いすることもできないでしょう。よく言われるように、「Give&Take」が欠かせませんから、自分が提供できるものを正しく評価できないようだと、他人との関係を作ることに苦労しそうです。

そして、これからはますます、日々学ぶことが大切になってきます。ただ、何でも学べば良いというものではありません。自分の強みが発揮できる領域に特化して、学びを重ねる必要があります。自分のことを正しく認識することができなければ、好ましい学びを続けて行くことは困難です。すごく努力しているらしいけど、「残念な人」になりたくはないですよね。

だからといって、いつまでも「自分探し」をしている余裕もありません。試行錯誤を重ねつつも、自分に与えられた責任と権限の範囲でベストを尽くし、その過程の中で「自分の強み」を見つけていく、フィードバックを重ねていくことが大切なのではないでしょうか。

  1. このYou are not special.というスピーチは、「自己評価」を求めるスピーチでしたっけ?
    スピーチの最後、

    The sweetest joys of life, then, come only with the recognition that you’re not special.
    Because everyone is.

    小さい基準で自分を縛るな、みんなspecialでexceptionalなんだから。ってことだと受け止めたんですが。

    1. スピーチの解釈は、人それぞれだと思います。
      しかしながら、このブログの記事は、冒頭にもありますようにTimeの記事をきっかけに書いたものであり、スピーチの内容を紹介するために書いたものではありません。

      でも、スピーチのタイトルにもありますし、ご引用なされた一文にも、
      「that you’re not special」
      とございますけども。

      1. 大人気なく、コメントを残してしまってすみません。
        おっしゃるとおり、解釈はひとそれぞれです。
        ただ、私が引用した部分を見ていただければわかるとおり、

        You are not special, because everyone is.

        あなただけ(個人)が特別ではない。すべての人が特別なのだから。

        冒頭からおしまいまで、スピーチ全体に流れているのは、62億人いる人の中で、特別なひとなんていないんだ、あのトランプタワーのトランプ氏さえも。
        だけど、どれほど大事にあなたたちが育てられたかを覚えておいて欲しい。
        すべてのひとが特別になれば、それはすでに特別ではない。
        すべての人がトロフィーをもらえたら、トロフィーは特別なものではなくなる。
        だから、一人の人だけが特別でありえることはない。だってどんな人でも、特別でほかに代われる人はいないのだから。

        you are not special.

        これだけを読んで、「身の程を知れ」と解釈するか、この一文に惹かれて、全文を読んでみようか(聞いてみようか)、と受け止めるかは、個人の自由でした。
        たいへん失礼しました。

        1. ご返信ありがとうございます。
          ご指摘のように、スピーチの内容と、私がブログで主張していることとは、ちょっと相容れない部分があります。

          私が言いたいことは、「自分は特別」とは思い込まないで、謙虚さを保ちながら、自分を活かしていく生き方を考えたいというものです。なぜならば、「自分は特別」と考えたら、そこで思考停止だと思うからです。

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