娘に伝えたい「運動会から学ぶこと」

娘の通う小学校では、昨日、運動会が行われました。

運動会といえば、騎馬戦、応援合戦、リレーなどが盛り上がりますが、昨日のリレーではちょっとした出来事がありました。

1位になったのに、、、

途中経過で負けていた紅組は、高得点が見込めるリレー競技で勝たなくてはならない状況でした。リレーで取りこぼしをしたら、もう二度と追いつけないくらいの点差に開いてしまいそうだったからです。

だから、リレーの選手は精一杯の力を振り絞って、先を行く白組の走者を追い抜かなくてはなりませんでした。

そんな時チャンスが訪れました。白組の走者がコーナーリングに失敗し、外側に膨らんで失速してしまったのです。紅組の走者は足に力を込めて、コーナーの内側から抜き去り、そのままリードを保ち、何とか1位でゴールすることができたのです。

チームも、応援していた紅組のみんなも、みんなで歓喜に湧きました。

審判の先生方集まってください

観戦していた大人の間にもざわめきが起こりました。

「子どものリレーで審議なの?」

という、戸惑いに溢れていました。

やがて、先生たちの輪が解かれ、審判委員長による説明が始まりました。

ただ今のリレーの結果について説明します。紅組のチームが一位でゴールしましたが、進路妨害行為が認められたことにより、4位に降着処分とします。

大人の方からも、「え!」と厳しい処分に対するどよめきが流れました。今年の運動会の勝敗が、もうこれでほぼ確定してしまったからでもあります。なかには、

ちょっとぐらいいいじゃないの

とか

あんなに頑張ったのに、かわいそう

という声も聞こえましたが、私には「教育」として降格処分は当然すべきであり、この出来事を「学び」に活かさなくてはならないと思ったのです。

ルールがあってのスポーツ

残念ながら、閉会式の校長のあいさつでは、このことについてきちんとした説明をしませんでした。

せっかくの良い教育の機会なのに、残念でした。

わたしなら、こんなメッセージを発しただろうと思います。

今日は、みなさんよくがんばりました。でも、なんでもいいからがんばって、いい結果、1位になればいいというものではありません。スポーツにはルールがあります。ルールを守らないで、ズルをしていい結果を出せばいいというものではないのです。今日は、リレーでそのことを勉強しましたね。

と。

ドーピングなどの話題を持ち出すまでもなく、ルールの範囲内で、ぎりぎりのところで競い合うからこそ、スポーツは成り立つのです。そこに、公平性が担保されるからです。子どもにも、そのあたりのところが分かって貰えるようにすることが、教育としての運動会ではないかと思うのです。

故意でやったわけではない

リレーで、コーナーの内側から抜き去るのはルール違反です。しかし、抜き去った子は、故意でやったわけではないでしょう。

何としても勝ちたいという思いが強かった、だからこそ、目の前で外側に膨らんだ白組の選手を見て、そのまま進路を変えずに内側から抜いてしまったのでしょう。一生懸命だったからこそ、おちいる罠だったと思うのです。

それでも、ルール違反は変わりません。

厳しいけど、それが社会の現実なのです。

同情の余地はあるけれども、違反は違反なのです。故意がなくとも、過失であっても、許されないのです。

小学生なら、そういうこともあることを分かって欲しいですね。

なぜなら、これからの長い人生において同様なシーンに直面することがあるからです。

ルールがあっての社会

大人になれば、社会と直接向き合わなくてはならなくなります。そのとき、なんでもいいから勝てばいい、儲かればいい、贅沢できればいい、という訳にはいかなくなるのです。社会のルールを守り、責任を果たさなくてはならないからです。

やみくもに一生懸命やりさえすればいい、というわけではありません。うっかりルールを破ったでは許されません。知らなかった、では許してくれないのです。

不条理と思えることかもしれないけれど、社会とはそういうものであることを、少しずつ学んでいく必要がある。そういう機会を見つけたら、子どもとよく話し合って、理解を促すのも、大人の義務だと思います。まちがっても、「あきらめ」とか「空気を読む」ことを教えるのではありません。「ルール」を学び、その限られた範囲内で創意工夫を巡らし、競争に勝つことを考えるのです。それは、スポーツで戦うことを通じて培われるものでしょう。

そういう、生き抜いている力を子どもに伝えることも、親としてのつとめではないかと感じた、土曜日の一コマでした。

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