怒濤の一ヶ月を終えて

一番最後に更新したブログ投稿は、3月21日でした。ちょうど一ヶ月前になります。この一ヶ月はまさに怒濤の一ヶ月(とにかく仕事にプライベートに忙しかった)であり、ブログの更新はおろか、RSSの購読すら一切しない、ネットとは一線を画して過ごしていました。

繋がらなくても生活は成り立つ

ネットに浸り切っていた時は、ネットに繋がっていない生活というのは、ほとんど考えられないことでした。
毎朝、PCを立ち上げて、RSSをチェックしたり、「後で読む」に登録した記事を読んだり、Evernoteのノートを整理したりと、なにかとネットを使っていましたし、ほぼ毎日ブログを更新していたりなど、インプットとアウトプットの両方をこなしていました。

で、突如としてほとんどつながらない生活になってみると、当たり前のことですが、全然問題ありません。普通に生活する分には、全く支障はありませんでした。ネットに接続していないことによる不安とか、損しているのではないかとか、取り残されるのではないかとか、不安も、欲求不満も、これといって何もありませんでした。
それまでは、少しでも隙間時間があったらRSSなどを読んでいました。しかし、ネットに繋がないことが日常的になると、電車に乗っている時間も、考え事や自分自身を見つめ直す有効な時間として機能していました。
そうなのです、ネットに繋がないと、自分の内面との対話が増えたような気がしたのです。これは嬉しい発見でした。

アウトプットすることの意味

さて、こうしてブログを書くことにどんな意味があるのでしょう?

職業ブロガーになりたいとは思っていませんので、特定の読者層というのを設けているわけではありません。ひたすら、Decentを志向したい、人としての程よい理想に到達したい、そのためにどうしたら良いのか、それだけを考えています。

そして、こうしてブログを書き続けることは、取りも直さず、自分との対話を積み重ねていくということなのです。その対談の結果をブログというメディアに載せて、振り返ったり、客観視して行くことが目的であり、ゴールでもあります。そのような記事は、多少なりとも、他の人にも参考になるだろうと思いますし、物事の本質を深く追求し続けることで、流行や他人の言説に惑わされることのない、自分自身のオリジナルを作り上げることにつながるものと信じています。

立ちどまる勇気

自分で考えることなく、浮き草のように流れに身を任せるのも一つの生き方です。しかし、自分自身を見つめ直そうとすると、どうしても流されてばかりでは、正体をつかむことが難しくなります。

そういう時は、立ちどまって、周囲をよく見たり、自分の軌跡をたどったり、自分自身の内面と対話をしてみる。
周囲が猛スピードで動いていようが、自分は勇気を奮って止まってみる。
流されないで、止まってみる。
そこに留まることは難しいように思えるかもしれません。
それでも、安易には動かない。

そんな、努力を伴う、立ち止まって、内面と語り合う時間と、その機会を大切にしたい。
流行りのライフログも、究極は、自分の軌跡と現在の立ち位置を知るために行うものでしょう。

ですから、ブログを書き続けることは、それ自体が目的となり得ますし、中断期間のようなものがあっても、それに構うことなく、いつでも気楽に再開すればいいものだと思います。

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