「素直さ」と自己の成長について

昨日投稿した仕事が遅い人の共通項にある、「素直さ」について、言葉足らずのところがあったと思います。

「言われたとおりにやる」ということを「嫌悪」するむきがあるのも、理解できなくはありません。いつも上からあたまを押しつけらるような経験があるからかもしれませんし、親や教師、上司など、立場が上の人から強要されたことに対して従順に従うことに対する反発もあるのかもしれません。もうすぐ40歳になるとはいえ、自分の人生経験には限界がありますから、分かっていることは全体のごくごく一部なのだろうと思っています。

従順と素直

ところで、従順と素直は同じことなのでしょうか?

じゅう‐じゅん【従順】
〘名•形動〙性質•態度などがすなおで、人に逆らわないこと。おとなしくて人の言うことをよく聞くこと。また、そのさま。
「権力には—である」「—な部下」
派生語 じゅうじゅんさ〘名〙
類 語 大人しい

す‐なお【素直】‐なほ〘形動〙〘ナリ〙
1 ありのままで、飾り気のないさま。素朴。
「—なる山家(やまが)育ちのたのもしき所見えて」〈露伴•風流仏〉
2 性質•態度などが、穏やかでひねくれていないさま。従順。「—な性格」「—に答える」
3 物の形などが、まっすぐで、ねじ曲がっていないさま。「—な髪の毛」
4 技芸などにくせのないさま。「—な字を書く」
5 物事が支障なく、すんなり進行するさま。
「餌食を—に与へざれば、痩せおとろへてぞありける」〈仮•伊曾保•下〉
派生語 すなおさ〘名〙
類 語 柔順•温順•大人しい

ということは、従順と素直の2番目の意味が同じなので、ほぼ同一の言葉ということになりますが、私が使っている辞書(Macに標準でついているもの)では、「素直」のほうがより深い意味を持っているようです。

わたしが、仕事が遅い人の共通項の記事で「素直さ」と書いたは、無意識的に3〜5の意味を意識して使っていたようです。すなわち、自分のことは脇に置いて、新しいやり方をまずは無批判で受け入れてみるという「姿勢」のことであり、「クセ」がないということ、少し前の言葉で言えば「バカの壁」をもっていないこと。ということになります。

ロボットという概念

いつも様々な気づきを与えてくれる、佐々木正悟(@nokiba)さんの処女作、「ロボット心理学」では、

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心理学者コリン・ウィルソンが提唱した「ロボット」という心理学的な概念を紹介しています。

コリン・ウィルソンによれば人間の非常にユニークな特徴のひとつとして、「ロボットを使う」、それどころか「ロボットになってしまう」ということが挙げられる。「ロボット」という言葉によって彼が示している意味は、つまるところ人間の学習能力のことなのである。人間は、外国語を習得したり、ピアノを弾けるようになったり、自動車の運転ができるようになったりする。いわば「ロボット」によって人間は、「環境を変える」ことや、環境に合わせて「自分を変える」ことができるのだ。生まれながらにして言葉を話せたり、運転できるという赤ん坊はまずいない。ほとんど全ての人間が、訓練を経て、言語や運転を「学習する」のだ。

つまり、仕事に限らず、何かを修得しようと思うのであれば、自らの内に「ロボット」を作る必要があるというのです。一番最初にやるときは、全くやり方が分からないので、一つ一つの手順に分解して、それらを一通りマスターすることから始まります。一部の勉強や仕事、機械の操作や社会的なるルールなどで「論理的なもの」が支配するものにおいては、その意味づけを考えて、自分のものとして理解することができます。しかし、世の中の大半のものは、一切の意味づけを許さないで「そういうものとして理解しなさい」というような、「丸暗記」を要求するものもあります。「Don’t think, feel.」というようなもので、とにかく慣れよ!というものも多々あります。

何かを修得する一つ一つのケースは、多岐多様ですから、万能解はありません。しかし、絶対に間違っているものは、おおよそ存在します。それは、自分の中に壁をつくってしまうこと。ロボットを上手に機能させることを阻害してしまうことだといえます。

素直さとロボット

素直さがいい方向に作用するのは、ロボットの形成を邪魔しないから、ということなのではないかと思います。壁を作ることなく、ロボットの形成における抵抗を最低限にする。そして、自分の中に、「他人の行動様式」の回路(ロボット)を作ることで、自分がその「他人」であるかと同じように「行動」することができるようになります。最終的に、「環境を変える」ことや「自分を変える」ことができるようになります。

何か途中まで書き込まれているものを書き直すよりも、白紙の紙から書き始める方がはるかに簡単です。スポーツなど体を使うものであっても、変なクセがついていると、上手にならない、ということもあります。素の状態から始める方が、抵抗が少なく、すんなりと修得することができる。すなわち、「素直」にとりあえず吸収することに集中し、ロボットを作り上げるところまでを最短距離で進むことができれば、効率的に「能力」を得ることができます。

この仕組みは非常に強力です。しかし、同時に危険性をはらんでいます。それは、良くも悪くも「ロボットの質」に左右されてしまうということです。自分の中の「ロボット」によって、無意識的に自動操縦されてしまいます。しかも、自動操縦されていることに当の本人は全く気づくことがないのです。無自覚に、自分の意識としては間違っていると思っていることを、「ロボット」が実行してしまうことだってあるのです。

私が大切だと思っていることにひとつは、そういった「ロボット」の存在を認識できるように努力すること、です。

フィードバックと記録

「ロボット」の存在に気づくには、他人からの指摘などの「フィードバック」と自らがつける「記録」が欠かせません。

特に若ければ若いほど、自分から頼まなくても(勝手に)誰かがいろいろと指摘してくれます。すなわち、自分の行動に対して「フィードバック」を返してくれます。そして、そういったフィードバックを通じて、自分がとった行動を客観視しやすくなり、どこが良くて、どこが悪いのかを認識できるようになります。しかし、年齢を重ねれば重ねるほど、そういった「親切な」フィードバックがもらえなくなります。「怒られる」ということなど、ほとんど無くなっていきます。真摯なフィードバックがえられないということは、とてもきついものです。自分を振り返るきっかけが、少なくなっていってしまうということですから。

となると、防衛的に自分でできることは、「記録」ということになります。そうならざるを得ないのです。

とある本で読んだところでは、人生の成功者と呼べるような方々は、「日記を書く」という習慣を継続している人が多いという、傾向があるとのことです。それが一概に正しいか、科学的に証明されている事実かは、このさい脇に置いて、記録を取るということについてもう少し触れたいと思います。

自分のロボットを知るには、あくまで客観視できなければ始まりません。何しろ相手は無意識なのですから。客観的に見るには、意識を客観的に扱う「メタ認知」では不足です。それは、「事実」に基づかないからです。自分の思い込みに左右されてしまうから、正確な分析は難しくなります。したがって、具体的な「事実」を集めて、そこから分析を始めなくてはなりません。行動の記録を取るということは、後で振り返ったときに「なぜその行動を取ったのか?」と客観的に行動を振り返り、行動を起こすに至ったきっかけを再度シミュレーションするための入り口を開いてくれます。

もう一つのロボットと素直さについて

自分の行動を改めるとき、無意識に行動を取ろうとするロボットに対して歯止めをかける必要があります。その歯止めにおいても、「素直さ」が有効なのだろうと思います。いや、素直さというよりは、「潔さ」と言い換えた方がしっくり来るような気がします。思い切って「リセット」をかけること、全てをスタートラインに戻すこと、そういった素直さがないと自分の行動を改めることは、難しいのではないかと思います。

Changeの公式というカテゴリで書いていることでもありますが、素直さというのは、Acceptance(受容)を左右する項目だと思います。変化のパフォーマンスは、Quality × Acceptanceで決まりますから、そういった意味でも「素直さ」は重要だと思っています。

自分にはまだまだだと思うところが、いっぱいあります。でも、「見て見ぬふりをする」ことは、できません。ツライかもしれませんが、立ち止まるより、前に進みたいと思っています。なぜなら、そうしたいからです。

編集後記

昨日の投稿を書き終えたとき、まさかこんなにもアクセスが集中するとは夢にも思っていませんでした。

ここ数日毎日投稿できていますが、極めて気分屋なので、コンスタントな投稿はしていません。読者を獲得してビジネスをしようなんて気持ちは、全くありません。

今回、これだけ注目してくれたのは、本当にありがたいことだと思っています。それは、いろいろなフィードバックを戴くことができたからです。本文でも書きましたが、40にもなるとフィードバックをもらえる機会などほとんど無いからです。そういったいろいろなコメントを戴くことで、自分の未熟さが分かります。自分を高めていくうえで、とても貴重なプレゼントを戴きました。ありがとうございます。

このブログは、特定の人を批判したり、教訓めいた説教をたれるために書いているものではありません。基本的には、自分のために書いています。部分部分では、自分を励ましたり、自己満足したりすることもあります。しかしながら、自分が見知った程度の範囲から、なるべく普遍的なものを見いだそうと努力して、そして得られた洞察を言葉にまとめて、ブログに書くことをベースとしています。それが、自分のためになると思っているからです。

たとえば、昨日の投稿に書いた3要件も、かつて自分にあてはまっていた項目です。とんでもない奴で、使えない、始末に負えない人間で、仕事が遅い、コミュニケーション最悪、な人間でした。だから、余計に問題点が身にしみて感じるのです。その問題点の根本にあるのは、一体何だろうと。

タスク処理や、仕事に関する投稿が多いのも、それらを何とかしたいと思っているからです。こういった方法があるよ、テクニックがあるよという投稿もいいのですが、それは巷にごまんとあるので、そういうのが得意な人に任せておいて、自分の場合は、もっと根源的なものへの追求を続けていきたいと思っています。ですから、書いていることに答えなどありません。死ぬまで、答えを探す努力を続けたい。そして、自分を少しでも高めていきたい。ただ、切にそう思っているだけなのです。

  1.  多くの人の琴線に触れる文章は、多くの人からの様々な反応があるものだと思います。
     12月8日の文章については、ずいぶんと極論をおっしゃるのだな(内容が正しいか正しくないとは別な部分での投げやりさ「そういう人がいる」ということへ隠さざる嫌悪感のようなものを正直に公開されていること)と思ったのですが、過去の自分を省みてと言うことであれば得心がいきます。
     自分自身が記事中で指摘されている「素直ではない人種」と言うこともあるのですが、たとえば匿名掲示板界隈でよく言われる「無能な働き者は射殺しろ」というような文言に際して、自分自身が無能な働き者でありかつ「素直ではない」人間である場合にはどうすればいいんだろう、矯正不可能だから死ねと言うことなのかな、と思ったりもするもので。
     そして、「素直ではない」とか「無能な働き者」という性質から一番被害を被っているのは当の本人であり、当人が一番つらい思いをしているということについて少しでも抜け出すことが判ればいいのに、とも思いました。
     端から見ていれば「なんだあいつ」と思われていて蛙の面にしょんべんのごとく平然としている苛立たしい限りの人間が、そういう自分自身をこの世で一番嫌っている、ということもありえるんじゃないかなぁ、とも思います。
     とまれ、ご自身でアクセス数のグラフをお出しになるくらいびっくりされるほどアクセスがあったようで、それはあくまで関心の高さであるとご納得いただいて、ご自身のスタンスでこれからもブログの更新をされていかれることを楽しみにブックマークさせていただきました。

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