時間が足りない!は、本当か?

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いわゆるHack系の本やブログの投稿では、「時間が足りない」ことを取り扱うものが多いのですが、私は常々そのことに対して疑問を感じています。

時間が足りない?

心理的に不調でない限りは、仕事にしても、趣味にしても、遊びにしても、人付き合いにしても、雑事にしても、細々と探し出せば、「やったほうがいい」と思えるものはいくらでも出てきます。「いつかやろうとは思っているけど、、、、」といったものをリストに挙げていくと、余りにも膨大な量にびっくりするかもしれません。ただ、普通の人はそこまでやりません。自己成長への意識が高い人ほど、「やったほうがいい」と思うことがたくさんあって、それらを全て何としてもやりたいという気持ちが強いので、「いつも時間が足りない」という焦燥感をもつのだろうな、と思うのです。

それらを24時間以内に全てできるか?

健全な焦燥感をもつのは、とてもいいことだと思います。少なくとも、日々を漫然と過ごし、自己への投資を一切しないで、その場限りで取り繕って人生を重ねる生き方をしていないのですから。

しかし、健全な焦燥感は、時折、不健全な焦りへと変質し、自分を傷つけてしまうことにもなりかねません。特に注意しなくてはならないのが、「学習性無力感」に陥ってしまったり、「鬱」への領域に入ってしまうことです。こうなってしまったら、せっかくの努力を水泡に帰してしまうだけでなく、人生を損なう危険にはまってしまうからです。

そうならないためにも、もう少し気持ちを楽に考えたほうがいいのではないの?と思うのです。

それらを24時間以内に、全てできる?

と、自問自答してみるのです。たった、それだけの簡単なことです。

頑張らないとできない状態は、まずできない

24時間をびっしりと「やったほうがいい」と思っていることで埋め尽くされてしまっていて、それを実行するにはまるでスパーマンのように、なんでも完璧にこなさないといけないとか、相当頑張らないといけないスケジュールだとしたら、ほとんどの場合、それを実行しきることはできません。

どんなにテクニックを駆使しようとも、生産性を上げようと努力しても、そもそもの計画の段階で「頑張り」を要求するようなものであれば、それはうまくはいきません。どんなに、いわゆるライフハックといわれるツールなどを使っても、うまくはいきません。張り詰めた糸は、簡単にすり切れるからです。糸にたるみをもたせないと、簡単に切れるのです。

「できない」が続くと、学習性無力感がアタマをもたげる

頑張らないとできない状態を長く、長く、続けてしまうと、ほとんどの場合で、「こんなに頑張っているのに、なぜ自分はできないのか?」という無力感が湧いてきます。「できる」人間になりたいのに、自分は「自分がやったほうがいい」と思うことですら満足にできない。自分は、能力がないのではないか。自分が置かれている立場は、分不相応なのではないか。自分に価値なんてあるのだろうか。などという、ネガティブスパイラルにはまるだけではないか?

そんなんで、一体誰が幸せになるというのだろう?

不幸は、あなた一人に訪れるものではない。

あなたのことを大切に思う人全てが、等しく不幸を感じてしまうのだ。

これを悲劇と言わずとして、何を悲劇というのだろう。

頑張らない、という開き直りが必要

いっそのこと、頑張ることなど止めてしまえ!

というのが、私の偽らざる本心です。こういうことは、Lifehackを生業としている人には、ほぼ書けません。当たり前ですよね、本やセミナーが売れなくなってしまいますから。

でも、世の中というもの多くの人がなびく方向と逆を向いた方が、正しいことは良くある話です。ただ、それが怖い。「KY」という言葉がある国ですからね。(製造業だとKYは危険予知なんですけど、、、)

誰も責任を取りたくないから、みんながそう言うなら、、で安易に追随してしまう。「自分の頭で考える」ということをしないで。

そもそも「やったほうがいい」と思うことなど、たくさんありすぎて絞り込めないのです。「不可能」という思い込みが邪魔をしない限りは。

時間を止めることが出来たら?

時間を止めることが出来たら?という空想が、いつまでもあるように、人よりも単純に多くの時間を使って、いろいろやってみたいという衝動があるのです。それは、本能的なものかもしれません。(AVにも、そんなネタは多いですね。)

でも、時間なんて止まることはない。物理学の法則に照らし合わせても、絶対にあり得ない。

時間は、誰に対しても等しく1日24時間であり、そこには物理的な限界があるのです。この時間という貴重な資源が、形を伴って見えないからこそ、苦労してしまうのです。

時間が足りないのではない!

ずいぶんと前置きが長くなってしまいました。本質は、「時間が足りない」のではないということです。

そうではなく、やるべき事が、明確になっていないだけなのです。

Steve Jobsは、「死は偉大なる発明」と言いました。なぜなら、今日という一日の価値を正しく理解するには、「死」を意識しない限り不可能だからです。

今日あなたが無駄に過ごした一日は、明日も生きていたいと願って昨日死んでいった者の明日

もし、今日で人生が終わるとするなら、そのことを「本当にやるべきだ」と思うか?

と考えてみるのです。そうすると、そんなに多くのことはできないということに気が付きます。1分、1秒が愛おしくなってくるでしょう。

これを、「一期一会」というのでしょうし、「覚悟」を決めるということにもなると思います。

時間が足りないのではなく、本当にやるべきだと覚悟している、絞り込みが甘いだけなのではないでしょうか。

なんとしても、これだけは今日やらないと、眠れない!というものを、一つだけ実行できれば、それだけで一日を幸せに終えることができます。確実な成果をあげることに集中すること。それが全ての突破口を開きます。欲張る必要はありません。ただ、ただ、ただ一つだけをやればいいのです。

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